吉野ヶ里遺跡(2)

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吉野ヶ里遺跡の中、逆茂木を抜けてコースに沿って歩いていくと、城柵、物見櫓で囲まれたところが見えてくる。「南内郭」と呼ばれるところで、幾つかの竪穴式住居が復元されていて、その中に入って竪穴式住居を見物することができる。
竪穴式住居の床は地面から掘り込まれた長方形、二本の柱で屋根を支え、中央には炉があるというのが基本。屋内の壁際には一段高いところがあり、そこで住人は寝起きをしていたらしい。
柵や物見櫓などの厳重な警備の様子から、この「南内郭」辺りが吉野ヶ里の支配者層の居住区であったと考えられているとのこと。
また、九州で始めて銅鐸が出土したのもこの吉野ヶ里だそうだ。かつて九州では銅鐸の鋳型は発見されていたが、銅鐸自体は見つかってなかったので九州は銅鐸分布圏外と考えられていたけれども、この吉野ヶ里でも銅鐸が出土したので、九州でも銅鐸を用いた祭祀が行われていたと考えられるようになったそうな。ここ「南内郭」には銅鐸の複製品がぶら下げてあり、そいつを鳴らすことが出来る。想像していたよりも、「ウホッ、イイ音!」だった。


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高床式倉庫。地面から離して高い位置に持ち上げることでネズミや湿気から中の貯蔵品を守るという、セキュリティと温度・湿度管理の機能を備えた当時のハイテク倉庫!
弥生時代前半は地面に穴を掘って米などを貯蔵する形態が多かったが吉野ヶ里では弥生時代中期、後期に高床式倉庫がガンガン造られたらしい。「南内郭」の西側、吉野ヶ里を囲った外環壕の更に外に80棟(!)を越える高床式倉庫跡を確認、同時代に少なくとも20棟は建っていたと推測され、調査が進むうちに、その倉庫群も壕に囲まれて防御されていたことが明らかになったという。
吉野ヶ里周辺に発見された同時代の他の集落と比べて倉庫のサイズ、数ともに桁外れ。吉野ヶ里が巨大な集積地であったことを想像させる。
現在この倉庫群を復元中、2004年、今年の4月から「倉と市」として公開予定。
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復元された高床式倉庫には梯子が掛けられており、一部その内部を見ることが出来る。ある倉庫の中には当時の武器が収められた様子が再現されていた。
吉野ヶ里からは実用、祭祀用様々な鉄器や青銅器が出土している。また鋳型や焼土塊などが出土した青銅器の鋳造を行っていたであろうと思われる工房の遺構も発見されている。またその周辺には朝鮮半島系の土器が出土しており、朝鮮半島系の人々が鋳造に何らかの形で関与していたことを示唆しているという。
また「南内郭」の北に「中のムラ」と呼ばれる場所がある。そこは祭祀や政治の儀式に使われるような道具を作る区域だったと考えられており、幾つかの竪穴式住居と養蚕、機織り機などの設備がある。
「三国志・魏書・東夷伝・倭人条(魏志倭人伝)」中には「倭人は桑を育て、蚕を飼って絹を作る」とか「倭錦を中国に持っていった」とかいう記述があったものの、それを裏付けるような弥生時代の遺物が発見されなかったので魏志の作者の勘違いではないかとさえ言われてきた。が、吉野ヶ里からいろんな織り方、色の絹が出土し、これによって弥生時代の絹織物の技術水準の高さが分かってきたとのこと。
あ、それとこの「中のムラ」に復元された竪穴式住居の幾つかは、内部に自動販売機と腰かけが据えられた休憩所になっているので、歩き疲れたらココで一服出来たりもする。

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