吉野ヶ里遺跡(3)

吉野ヶ里遺跡には数々の重要なの遺物があるんだけれども、見た目で一番分かりやすいのが北内郭の一帯。北内郭は吉野ヶ里丘陵一帯をぐるりと囲む環壕の中、更に二重の左右対称のアルファベットのAのような形をした環壕で囲われた場所で、内部に4棟の物見櫓、12.5m四方の「主祭殿」と名付けられた大型重層建築物等を備える。
「主祭殿」は当時、吉野ヶ里とその周辺のムラの政治、宗教の中心であったと考えられているとのこと。
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画像は北内郭の入り口からその「主祭殿」をのぞんだもの。この北内郭の二重の環壕は土塁と柵を備え、入り口は鍵状に折れ曲がっていて外部から直進して入れないように防衛上の工夫がなされていた。


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復元された北内郭の物見櫓に登って北内郭の内側を撮影。北内郭には件の「主祭殿」の他に物見櫓、高床式建築物などがあったが、竪穴式住居は一棟しかなかった。南内郭と比べると生活の匂いが希薄で、その閉鎖的で厳重な警備と相まって祭礼や政治の為の空間と推測されているそうな。
北内郭には、人目に触れぬように厳重な警備の下で暮らす付近一帯から畏れ敬われ、祭礼を司るシャーマンが居たのでは?高床式の建築物は、彼の住居であったり祭礼に使用する道具や贄の保管場所であったのでは?一棟しかない竪穴式住居は、彼の世話をする者たちが住んでいたのでは?南内郭に住む支配者層の者たちは最も大きな重層建築物(主祭殿)に集まって政について話し合ったり、シャーマンに占ってもらったりしたのでは?などという事があったのではないか?なんてことを想像させる。
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当時の吉野ヶ里の人々にとって重要な空間の一つであったと思われているこの「主祭殿」、12.5m四方の正方形で直径およそ40〜50cmの柱16本で支えられたと推測される。そして、この建物は北内郭の更に北、身分の高い者たちを埋葬したと考えられている墳丘墓と、吉野ヶ里遺跡南部に存在する祭壇と思しき跡がある遺構を結ぶ線に軸を揃え、さらにこの北内郭の中軸線が夏至の日の出と冬至の日の入りに方向を合わせているそうで、祭祀的性格をますます匂わせる。
しかし「どうして二階建てで復元されてるの?そんなもん建てられるような技術とか発想があったの?誰か見てきたんか?」って思ってたら、別の遺跡から梯子を備えた二階建ての建物が描かれた絵画土器の破片が出土しているそうなので、当時そういう建物が存在していたらしいし、まあ、大型重層建築物は吉野ヶ里ほどの規模のクニであれば、あってもおかしくないのかな。

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