長崎さるく博~スタンプラリーに挑戦!(5)稲佐山、原爆、一本柱鳥居編~

引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
今回は長崎駅の脇から橋を渡り、長崎港を挟んだ対岸、稲佐方面にて、「国際都市・稲佐の交流史とお栄さん ~国境を越えた交流~」、「絶景!パノラマ360°~稲佐山~」、「1000万ドル夜景ツアー~日本三大夜景・稲佐山ほか~」の三件を狙う。その後再び橋を渡り、今度は長崎駅を北上して浦上方面に向かい、「長崎原爆資料館めぐり」、「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて ~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~」、「1945年8月9日長崎 ~旧長崎医科大学から山王神社~」の三件のスタンプを手に入れよう。稲佐方面は稲佐山山頂に二件、麓のロープウェイ駅近くに一件があるようなので、ロープウェイを利用して稲佐山に登れば一気に三件をゲットできるが、ウチからは遠い、また浦上方面の三件はそれぞれ離れた場所にあるようなので今回も車を利用してそれぞれピンポイントで攻略しよう!
桑姫社(天女廟)
稲佐山へ登るロープウェイは麓の淵神社から乗り込む。この淵神社で注目したいのがこの桑姫社。桑姫は豊後国を治める戦国大名大友宗麟の子義統の次女(阿西御前)、その桑姫を祀ったのがこの小さな社だ。


大友氏は秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)において非協力的であったと秀吉の怒りに触れて改易、その姫は大友氏の家臣志賀氏を頼り、長崎淵村に隠棲、近隣の村人に行儀作法(一説によれば養蚕も)などを教えた。そして姫君没後その墓地に桑の木が植えられていたため誰とも無く桑姫と呼ぶようになったという。
ところでこの桑姫様、キリシタン大名であった大友宗麟の孫娘であったのでキリシタンであった(洗礼名はマキゼンシア)。故郷を離れ寂しく没した姫君が眠るこの小さな社はキリシタンを祀る全国でも珍しい神社であるという。
淵神社・ロープウェイ
淵神社からロープウィを使って長崎市街を眼下に眺めながら一気に稲佐山頂上を目指す。
鉄塔
我が家の窓から港の対岸を眺めると、この稲佐山が見え、山頂にこの塔が見える。緑の山肌の頂点にちょこんと乗っかる赤と白の鉄塔はまるで王冠のように見え、この稲佐山が長崎でも特別な山だと思わせた。
稲佐山山頂から見下ろす長崎市
稲佐山と言えば、「1000万ドル夜景ツアー~日本三大夜景・稲佐山ほか~」というコースがあるとおり、夜景を楽しむべきだが、時間が無いのでスタンプ2個をゲットして稲佐山を後にした。余談だが、このロープウェイのガイドさん、夏はカワイイ浴衣姿でお出迎えしてくださる。
稲佐山から浦上へ。先ずは長崎原爆資料館を目指す。
スタンプ
この原爆資料館には、「長崎原爆資料館めぐり」、のスタンプがある。
スタンプの台紙を広げてスタンプを捺そうとすると、すぐ傍にいた少年が台紙を覗き込み、けっこうそろってきた俺のスタンプを見て「スッゲ~~~!」と感嘆の声を漏らした。そしてその様子を見た少年の父が「わい、どんくらいおしたとや?(お前は、どれぐらい捺した?)」と少年に問い、少年が「三つ・・・。」と寂しそうに答えた。
そこにはかなり揃ってきたスタンプを前に、一寸自慢げにスタンプを捺す俺が居た!
資料館内には様々な原爆の資料が展示されている。
長崎原爆資料館・溶けたガラス瓶
溶けたガラス瓶。原爆が炸裂したときの熱線によって溶けたものだという。
長崎原爆資料館・熱線の凄まじさを物語る
これは原爆が炸裂した一瞬、強力な光と熱によって壁に焼き付けられた梯子と人物の影だという。
影の主はどうなったのか・・・。原爆の恐ろしさを物語る、あまりにも衝撃的な写真。
原爆炸裂後、爆心地一帯は地獄であったと言う。
「証言集」http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html長崎新聞hp内)
アンゼラスの鐘の丘を訪ねて ~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~」のスタンプを求めて長崎原爆資料館を後に「如己堂」を目指す。
如己堂
長崎医科大学助教授、物理的療法科部長であった永井隆は爆心地からわずか700mの長崎医科大学の研究室にて原爆に遭遇、原爆炸裂直後、自らも被爆し重症を負いながら原爆の被害者の治療にあたった。
その後原爆症に伏せた永井博士はこのわずか二畳の「如己堂」にて自らを検体として原爆症の研究、執筆活動に没頭した。(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html
続いて「1945年8月9日長崎 ~旧長崎医科大学から山王神社~」のスタンプを求めて一本柱鳥居で有名な
山王神社を目指す。
一本柱鳥居
この片側だけの異様な姿の鳥居が「一本柱鳥居」。
原爆の爆風で片側が吹っ飛んだ山王神社の二の鳥居、半身だけが奇跡のバランスで残り半世紀立ち続けてきた。
山王神社の大楠木
一本柱鳥居を過ぎると両脇に大きな楠を持つ山王神社に至る。
被爆直後の山王神社周辺
原爆炸裂直後の様子。原爆の炸裂で生じた爆風は、山王神社周辺をご覧のとおり何もかも吹っ飛ばしてしまった。そして爆心地周辺は70年は不毛の土地であろうと言われ、上の写真の大楠も葉が一枚も残らぬほどで枯死したと思われていた。しかしこの大楠、程なく新芽を吹きだして復活。
この楠木の復活は、長崎市民を大いに励ましたと言う。

コメント

  1. 匿名 より:

     さるいた日々はとても楽しかったね 納涼祭りのも頼むね
    楽しみだな

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