プロ野球といえば、かつて大洋ホエールズとヤクルトスワローズはわりと長崎に来ることがありました。長崎は捕鯨の歴史も長く大洋漁業とのかかわりが深かったからでしょうか。また諫早にはヤクルトの工場があるのです。そんなわけで私、大洋の試合を見に行ったこともあり、斉藤明夫からサインをもらったし小学生のころ私がかぶっていた野球帽は大洋ホエールズのそれでした。高校のときはなぜか野球ネタで同級生とよく話すようになりました。同級生達はそれぞれ巨人ファンとか阪神ファンとかヤクルトファンとか公言しており、いつも前日の試合結果について「三連戦の初日で落としてはイカン」とか「昨日の先発の大門は良かった」とか語り合ってけっこう盛り上がったものです。そのうちナムコからファミリースタジアムという革命的な野球ゲームが登場し私の野球熱は盛り上がりました。勿論選ぶのはホイールズ、やしき、かとう、たかぎ、のスーパーカートリオで掻き乱し、えんどう先発押さえはさいとうで決まりという試合運びで現実とシンクロさせてゲームを楽しんだのです。
学生時代福岡に一人暮らしを始めたると、福岡ダイエーホークスが誕生、私も平和台に一度だけ観戦に行きましたが滅茶苦茶な乱打戦でぱっかんぱっかんホームランが出る気前の良い試合だった記憶があります。
しかしその後私の野球熱は次第に冷めていきました。就職で上京しましたが東京ドームや川崎球場に行ったのは専ら新日vsUとかFMWとかのプロレス観戦でありました。
野球に対してはそんな感じで接してきた私ですが、福岡Yahoo! JAPAN ドームのバックステージツアーってヤツに去年の10月に行ってきたのでせっかくなので御紹介。

バックステージツアーのスタンダードコース・所要時間50分・料金1000円に挑戦。ソフトバンクイエローのコスチュームに身を包んだドームクイーンズのお姉さんが案内してくださるという!

シーズンオフの球場内に入っていく。広~い広~い球場はし~んとしていてなんかドキドキ

福岡ドームは両翼100m、中堅122m。ドームの形状は上から見ると円形で効率良くこのドームの丸天井を支える構造になっているといいます。

試合のない観客もいないときに見てみると意外とこじんまりしている印象を受けましたこうしてみると円形だと良く分かる。

外野フェンスの高さは国内屈指でグリーンモンスターの異名アリといいます。

福岡ドームといえば、シャッター式の開閉ドーム。二枚の羽が可動して開く姿はまるで鷹が羽ばたくようであると言います。この天井、天候や風、ホークスの勝利等の条件が合えば、お祝いの花火が上がりガーッと開いてくれるそうです。

入ってみると意外に広い!そして中継なんかで選手達が椅子に座ってフェンスに足を上げたりしてるんですけどこれがまた遠い!!プロ野球選手とはやはりでかいんだなあと実感。

モニターにはブルペンの様子が映し出されておりまいた。ここでブルペンの様子をみて投手達の仕上がりを確認することが出来る、なんてハイテク!!

勿論ブルペンも見れます!マウンドには入れませんが。テレビでもあまりお目にかかれない場所に入れるとはチョット感動!ちなみにブルペンとはbullpenで牛を囲う場所とかいう意味だそうな。

イチロー選手は誰よりも早く球場入りしてこの鏡の前でひたすらに素振りをしていたと、そんなエピソードが残っているそうです。練習熱心だったんですねえ。

選手控え室たるロッカールーム!様々な野球映画や漫画で選手達が作戦立てたり闘志を燃やしたり悔しがったりお互いいがみ合ったりするドラマの舞台!!そんなトコにも入れたりする!!

ロッカールームに殴ったか蹴ったかしたような凹みを発見!!なんか悔しかったことでもあったのでしょうか。選手達の熱い思いが伝わるような!!
ちなみにこのバックステージツアー、ホークスのユニフォームを着てグランドで記念撮影も可です。
野球に対してそんなに思い入れのない私でもなんともテンションが上がりました。
野球好きな人には是非おススメしたい!!
西日本に三社参りという風習があるといいます。私はこの言葉を知りませんでしたが、学生時代下宿した福岡では学校の先輩達が三社参りで大宰府と宗像大社と香椎宮に行ったとかなんとか言っておりました。当時はそんな九州でも指折りの有名な伝説を持ちボスキャラクラスの神々が祭られている神社に初詣とはどんだけたいへんな願い事があるんだろうか!と思いましたが実はわりと普通にやるそうですね三社参り。三社参りのルーツは先祖の守護神、出生地の産土神、現住所の鎮守神という三柱を祭ったのがはじまりとか、朝廷が伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂神社の三社を祭ったからとかいくつかの説があるようですな。そんなわけで正月元旦のイベントとして長崎にて三社を参ったのでした。

長崎市民としては先ず外せないのが「おすわさん」の名で親しまれている「鎮西大社 諏訪神社」大きな鳥居と長い坂が印象的。

さすがは江戸時代に長崎市民は全ておすわさんの氏子と言っただけのことはあり、なかなかの混み具合。早速お参りして絵馬を奉納、境内では抹茶とお茶菓子が振舞われていたので頂戴した。また温かい甘酒やお神酒もあったので甘酒をいただいた。美味しかった!!
温まって良い気分の私、諏訪神社の長い階段を下って左折。おすわさんの御近所である松の森神社を目指す!
1600年代初め頃肥前松浦の浪人河上光房という人が天神様の画像を自宅に祭っていたが家の中では失礼と竹筒に入れて庭の柿木に掛けて拝んでいたところ時々光を発して庭を照らす。困るので箱に入れて屋根裏に納めていると今度は室内を照らす。これはただ事ではないと祠をもうけて祭ったらある夜暴風雨があって祠が壊れ空に向かって赤い光を発した。これに人々は大いに怪しみ河上光房さんはこれはもうちゃんと祀らないとイカンと決意、その筋に願い出て社を設け神主を置き祭礼を挙行。これが松の森神社のはじまり。松の森の名は同根の松の木が三本植わっていて、木が三つあるのは森だから松の森としてはどうかと当時の長崎奉行が命名したといいます。

天神様といえば梅ヶ枝餅であります!梅ヶ枝餅の出店があるので、お参りをすませたら早速ゲットだぜ。ホカホカで甘くて美味しかった!!
松の森神社を後にして中島川を越えて寺町方面へ、「わかみやさん」の愛称で親しまれている若宮稲荷神社を目指します。
この若宮稲荷神社、竹ン芸と呼ばれる二匹の狐が高い高い竹の上で舞踊る伝統芸能で有名。

お稲荷様といえば赤い鳥居!この若宮稲荷神社もご覧の通り赤い鳥居がずらーっと。

ひたすらに続く坂を上り、赤い鳥居をくぐる。
お稲荷様といえば狐!狛犬にかわってこのようにお狐様が。

生い茂る老木で昼なお暗く独特の雰囲気。
この若宮稲荷神社あたりはこの社のごとく巨石が多く互いにつながったり切れたり続いたりしていて昔から続石と呼ばれ、かつては野狐が遊び人々の願いをかなえたり禍福を占ったりしたと言います。
さて、若宮稲荷にもお参りして三社参り完了!!
若宮さんの帰り道に野良猫に遭遇。

牡蠣!学生の頃、Rのつく月は牡蠣が美味いと教わった。
じゃあ牡蠣を食べようじゃないか!!

冬になるとあちこちに牡蠣を焼いて食わせる牡蠣小屋が賑やかになる。有明海沿いにもそんな牡蠣小屋があるという。で、無性に牡蠣が食いたくなり、もういても立ってもいられなくなり、空腹をかかえつつ長崎から出島トンネルをくぐり諫早へと車を走らせた。
悪名高い諫早湾の干拓地を眺めつつ207号線を北上、途中愛らしい果物の形をしたバス停を発見。イチゴのツブツブやミカンのヘタや枝がよく出来ている!

諫早湾の潮受け堤防の外、干潟の向こうに雲仙が見える。干潟の海を眺めていると時々筏のようなものがあった。もしや牡蠣の養殖をしているいわゆる牡蠣棚か?と想像、更にごつごつとした牡蠣ガラとその中のチュルルンぷるんとした身を連想してしまい胃袋は牡蠣の為に既にスタンバイ完了。

今回は諫早湾沿いの207号線をちょっと脇に入った牡蠣小屋「シーサイドマリン」へ行ってみた!
ぶった切ったドラム缶に真っ赤な炭が放り込まれている。この上で牡蠣を焼く遠赤外線パワー。
生簀に山のような牡蠣、他にもアサリ、サザエ、ハマグリ、緋扇貝、帆立、ミル貝など豊富に置いてありこれを購入してドラム缶の炭火の上で自分で焼いて食らうのだ。

ドラム缶には真っ赤な炭が高熱を発し、貝たちを焼かんと手ぐすねひいて待っていた!
さっそくゲットした牡蠣をその網の上に置く置く置くそして焼く焼く焼くそして食う食う食う!!

ガバッ、と口を開き汁が滴りジューーー!!
汁が滴り真っ赤な炭が灰と煙を吹き上げる。この音と煙の匂いがまた食欲をそそる!!
焼けて熱くなった牡蠣を軍手をつけた左手で掴み、ナイフをガスッと突っ込んでガバッと殻を開くと想像していたよりも大きな艶々の身が姿を見せる。歓喜の声を上げつつ熱々の牡蠣をハフハフジュルジュルとむしゃぶりついた。
ああ美味い美味いとにかく美味い、次々と牡蠣を網の上に載せてひたすらに食った!!
空腹を抱えて運転してきたので期待もでかくなっていたが、その肥大した欲望に充分応えてくれるのだこの牡蠣たちったら。
もはや栄養価がどうとか海のミルクがどうとかチュルルンだのプリプリだのジューシーだのという牡蠣を食ったときのグルメ表現なんかもうどうでもいい、思う存分食えるこの幸福感、とにかく食えば分かる!!

勿論ハマグリやサザエなんかもあるので焼いて食っても良い、こちらも美味い。
ところで網の上では何を焼いても良いソーセージとか芋の持ち込みもアリらしい。
美味い美味いとにかく美味い、沢山の牡蠣とかハマグリとかサザエとかをたらふく食って胃袋を満たし、年末にとても幸せな気分を味わった。
ああ牡蠣小屋は素晴らしい。
<参考リンク>
■小長井町漁協直売店のホームページ
そういえば一時期牡蠣とノロウィルス関係が取り沙汰されましたな。
■厚生省 ノロウィルスに関するQ&A
>(参考)養殖カキについては、生産段階でノロウイルスの自主検査を実施する等衛生管理を行っています。詳しくは水産庁のホームページをご覧下さい。
>カキの養殖と生産出荷における安全管理について
なんか途中で止まったままだったので思い出したようにスタンプラリーの続き。
ホントは2006年夏の記事ですが・・・。
長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!今度は車を使って田上を超えて茂木から長崎の東部を攻略しよう!今回のターゲットは 茂木みなと散歩 ~漆喰塀の旧家を眺めつつ~、日本一!長崎ペンギン水族館ツアー ~山・川・海の自然体験さるく~、長崎街道矢上宿歴史探訪 ~江戸と長崎を結ぶ道~、四百年の歴史を誇る植木技術と庭園 ~古賀・植木の里散策~の4件、特に長崎ペンギン水族館は楽しみなのです!!

先ずは茂木へと向かいます。茂木といえばびわの産地として有名で以前もとりあげたことがあります(茂木のびわ)。

茂木は「もぎ」と読みます。日本各地に多くの伝説を残す神功皇后様ですが、長崎にも幾つかの伝説を残しております。その昔神功皇后三韓遠征の折この浦を訪れて裳をお召しになった、そこからこの地は裳着(茂木)と呼ばれるようになったと言います。この長崎に伝わる神功皇后伝説はいろんなものがありいづれそれらも追ってみたい。

味のある茂木の町。
茂木といえばバスでよく宮摺の海水浴場にきてました。そして一族の法事はこの地の料亭で。そして初めて釣りをしたのもここでした。とにかく思いで深い土地であります。
さて、茂木を後にして、長崎ペンギン水族館へと向かいます。
かつては西日本屈指の水族館であったという長崎水族館も時の流れに屈しがたく日本中に大きく新しい水族館が出来上がり、来客数も激減1998年に閉館、その後2001年にペンギンにフォーカスし体験に重きを置いた水族館、長崎ペンギン水族館としてリニューアルオープンしました。
長崎水族館には思い出があります、幼稚園の頃から何度か来ているから。ここには小さな鮫の水槽があり、それは魚市にあるような円形の上から覗ける生簀のような程度のものなのですが、幼い頃はとても大きな鮫が回遊するようなプールのように感じられて、「ここに落ちたら大変なことになる!」ととても怖かったのです。また、学生の頃一緒に連れてきた女性がイマイチノリが悪い、どうしたのかとよくよく聞いてみると「ウロコ系が苦手」と言われてへこんだこともありました。

キングペンギン、ジェンツーペンギン、フンボルトペンギン、ケープペンギン、マゼランペンギン、イワトビペンギン、マカロニペンギン、コガタペンギンらを飼育し、深い水槽内をまるで空を飛ぶかのように超高速でギュンギュンと泳ぎまわるペンギンを鑑賞できるのがペンギン好きにはたまらないのです!!

長崎にはかつて長崎港を母港とする捕鯨団があり、その捕鯨船がペンギン達を長崎へ連れてきたといいます。そういえば長崎にはプロ野球のオープン戦で大洋ホエールズが来てましたなあ。そんなわけでペンギン系は長崎水族館時代から充実していたので、自然とペンギン飼育のノウハウが蓄積されていったのかもしれません。

こちらは世界一の長寿記録を樹立した「ぎん吉」さん。1962年に南氷洋の捕鯨船に捕獲されて長崎水族館へ、そしてこの長崎水族館で飼育され続けて2002年に亡くなりました。まるでペンギン水族館のリニューアルオープンに安心したかのようではありませんか。その飼育期間はなんと39年間、ということはこのぎん吉さん、幼稚園の頃鮫の水槽を恐れていた私も、「ウロコ系が苦手」と言われてへこんでいた学生時代の私も目撃していたに違いありません。

夏場は暑いのでオヤスミしてますが、長崎ペンギン水族館では館内をペンギンが歩き回り、間近でペンギンを観察できるペンギンパレードってのをやってます。ペンギン好きのペンギニアン達はすぐさま長崎ペンギン水族館へ行ってキングペンギンたちをギンギン激写しまくるのが吉なのです!!

ペンギン水族館で時間をとりすぎて矢上・古賀はもう夜。矢上の教宗寺は出島のカピタンたちが江戸参府の際に泊まっていたという場所、また古賀といえば植木と古賀人形なんかの見所があるんだけどそれはまた別の機会に・・・。

京都嵐山にある小倉百人一首の殿堂「時雨殿」に行ってきた。
http://www.shigureden.com/

任天堂の元社長、山内氏が、太っ腹なことに私費21億円をかけて建設したという施設だ。
入館料は、高校生以上: 800円。小中学生 : 500円。はたして値段分楽しめるのか?!

まずは、一階の大広間で、床面に敷き詰められたディスプレイに映し出された京都上空を歩き回れ。
この施設は、任天堂の宮本さんが、アイデアを出したそう。

このDSをカスタマイズした「時雨殿ナビ」を操作して京都市内の観光地などを入力すると、床のディスプレイに鳥が表示される。それに付いて行くと、目的地に到着するのだ。おすすめは、任天堂本社!到着するとマリオが登場して、音楽が鳴るぞ!ほかにも、このナビを使って、カルタ遊びも楽しめる。すげえ楽しいので、ここで、入場料分楽しんだなー。

次は、歴史上の偉人とバーチャルカルタ対決!

体感かるた五番勝負に挑戦だ。

こいつは誰だっけ、清少納言かな?

今回は、これぐらいで許してやろう。

二階に上がると、競技かるた用の広間があり、マネキン人形の歴史上の偉人たちが、百人一首を楽しんでいた。

お土産コーナーで、純金製百人一首「時雨殿」80万円を買って帰るがよい!ほかにも、ストラップなんかもあったよ。とにかく、時雨殿ナビが楽しいので、入場料分は確実に楽しめる。みんなも京都に行く機会があれば、時雨殿にも寄ってみよう!
さて、引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中なんですけど前回(「重文縁起よか界隈 ~寺町巡礼~」、「龍馬が見上げた長崎の空 ~風頭から亀山社中跡、そして寺町へ~」、「松森神社から諏訪神社へ ~緑に包まれた聖地・天満宮とお諏訪さん~」、「元祖長崎 ~桜馬場・夫婦川から新大工~」、「超VIP出島蘭館医「施福多」の奇跡 ~シーボルトへの道~」)の続き。
「おすわさん」と呼ばれ長崎市民に親しまれている、「鎮西大社 諏訪神社http://www.osuwasan.jp/」へと向かい「松森神社から諏訪神社へ ~緑に包まれた聖地・天満宮とお諏訪さん~」のスタンプを目指す!
その「おすわさん」に至るには大きな鳥居が立ち並ぶ長い坂を登らなければならない。
またしても坂!!
長崎で生きる限り、坂からは逃れられない!!

幼い頃からこの「おすわさん」に慣れ親しんでいたので、神社と言うものは長い坂の上にあるものだと思っていた。近所の住之江神社も、大浦の諏訪神社も、ほおずき市の祇園さんも大徳寺の天神さんも全て坂の上にあったし。中でも、「鎮西大社」を冠する「おすわさん」の坂のなんと堂々としていることかと。神社の格は坂が示すものかと。
そんなもんだったから、修学旅行で太宰府に行った時、「へえ、平らなとこにこんな大きな神社があるんだ!」とちょっと驚いた。
長崎の諏訪神社といえば「くんち
」というお祭りが開催されるところ。また、この神社には、様々な狛犬がいたり、崖崩れから社を守った蛙岩、男女の仲を取り持つ大黒さんや恵比寿さん、陰陽石なんかがあったり、実は切支丹の神をも祀っているのではないかと言う説があったりするなど見所がいろいろあるけど、先を急ぐのでその辺りはまたの機会にじっくり。

歩きつかれてお腹がすいた。おすわさん名物のボタモチを食べよう。おすわさんでお参りしたら拝殿から左に折れて月見茶屋へ行こう。月見茶屋は創業明治18年の老舗の茶屋でおすわさんの参拝客に長く親しまれてきたのです!
おすわさんから下って左に折れると、新大工商店街。「元祖長崎 ~桜馬場・夫婦川から新大工~」のスタンプをゲット。長崎は幕府直轄の天領で、幕府が任命する長崎奉行の管理下に置かれておりました。そして同じものはまとめて置いておいたほうが管理しやすいし便利が良い。そのため唐人は唐人屋敷、オランダ人は出島、寺は寺町、鍛冶は鍛冶屋町に、桶屋は桶屋町に、大工は大工町に集め、そして新たに作られた大工の町だったから、新大工町という名がついたと言います。
下の画像はその新大工商店街の様子。ところで街灯に黒、黄、赤のドイツの国旗、そして青、白、赤のオランダの国旗がありますな。これはこの通りの先、鳴滝にシーボルトの鳴滝塾の跡があり、かつて出島からこの通りをシーボルト先生も通ったという謂れに因んだものでありましょう。シーボルト先生はオランダ商館つきの医師で、ドイツ人でありましたから。

酢の醸造元の建物や下段の公民館などの古めかしさがとても味わい深い。そして画像の中段右は「千寿庵 長崎屋」の有平糖(あるへいとう、語源はポルトガル語の「alfeloa」、アルフェロア=「砂糖」の意)、甘く美しいお茶菓子。

古橋は長崎でも3番目に古いといわれる石橋。側面の石組みに特徴があり、かさ上げされて現在も車が通る現役の橋として活躍中。

シーボルト先生の評価は少々微妙。この、シーボルト先生、その見事なまでの日本観察は純粋な学者としての探究心によるものばかりでなく、実はスパイ活動そのものであったとも言われているから。
しかし日本の近代化に大きく貢献したし、日本の自然誌についての調査も凄まじいし、川原慶賀に描かせた動植物や魚類の図譜、日本の風俗を紹介した書籍は世界に日本を紹介(トビウオの学名はCypselurus agoo agooですが、これはトビウオを長崎の人たちが「アゴ」と言っていたのをそのままシーボルト先生が記録してExocoetus agooと紹介したためだそうです)したばかりでなく、現代の我々にとっても当時の日本や長崎を知る貴重な資料たり得ることは間違いないのであります。

そんなシーボルト先生の活動や縁の品々、川原慶賀の図譜(多くはオランダのライデン博物館所蔵品のレプリカではあるが)を見ることが出来る記念館にてスタンプ「超VIP出島蘭館医「施福多」の奇跡 ~シーボルトへの道~」をゲット!!
■参考リンク
・シーボルト記念館・・・http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/siebold/
・日本動物誌 Fauna Japonica・・・http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b05/b05cont.html
・日本植物誌 Flora Japonica・・・http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/b01cont.html
さて、引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中なんですけど前回(「重文縁起よか界隈 ~寺町巡礼~」、「龍馬が見上げた長崎の空 ~風頭から亀山社中跡、そして寺町へ~」、「松森神社から諏訪神社へ ~緑に包まれた聖地・天満宮とお諏訪さん~」、「元祖長崎 ~桜馬場・夫婦川から新大工~」、「超VIP出島蘭館医「施福多」の奇跡 ~シーボルトへの道~」)の続き。
寺町の皓台寺は曹洞宗のお寺です。
16~17世紀頃の長崎は市民の多くが切支丹、神社仏閣は打ち倒され、僧侶は石を投げられるという迫害にあっていたりしたこともありました。そんななか、「長崎市民を仏法にて導かん!」と長崎入り、幕府なんかの後押しもあって皓台寺は「勅賜海雲山」と掲げるほどの長崎屈指の名刹となりました。

皓台寺には銅製の一丈六尺の大仏さんもいらっしゃる。頭の冠がイカス!
かつて長崎遊学を果たした江戸時代の奇才、平賀源内氏は「長崎には『か』が付くものが多い、坂と墓と馬鹿」と言ったとか。
確かに、長崎の街から周囲の山をぐるりと見回すと、グレーの墓石の色で染まった山の斜面がところどころに確認できます。皓台寺のある寺町辺りのお寺裏手の風頭山(かざがしらさん)斜面一帯にも、へばりつくように墓域が広がっています。

長崎さるく博ではこの寺町を見下ろす風頭山には坂本竜馬の像があったりするので、けっこう軽く観光コースに紹介してありますが、実は延々と坂道を歩かなくてはいけない、ある意味長崎らしさを堪能できる健脚コースであったりもします。しかし、長崎をディープに味わいたい方には、この皓台寺脇から墓域を抜けて風頭山に登るコースをお勧めしたいのです。なぜならば、この皓台寺裏の墓域には長崎マニアにはおなじみの長崎の歴史に名を残す人々、例えば、本邦の写真の開祖上野彦馬、西洋砲術導入に尽力した高島秋帆、シーボルトの娘で本邦最初の女医とも言われる楠本イネ、ベトナム王族の姫を嫁に貰って帰国した冒険商人荒木宗太郎、本邦で最初にラムネを製造した藤瀬氏らが眠っているから。
そんな長崎の歴史に名を残す人たちの墓を求めて、枝分かれして入り組んだ迷路のような、しかも延々と続く石組みの磨り減った坂道(もちろん木々が生い茂り昼なお暗い!)を歩くと、なんとも言えないゾクゾクとした気分になってくるのです。また、この墓域には長崎を支配した乙名や町年寄達の一族の古く豪華な墓等もありその長い年月を経た様子がまた一層・・・。
風頭山は長崎の伝統的な凧である「ハタ」をあげる競技が江戸の頃から盛んなところであったと言います。この長崎の伝統的な凧はいわゆる喧嘩凧で、相手の凧の糸に絡んで切断する事が目的の遊びで、なんとタコ糸(長崎ではヨマと呼ばれる)には砕いたガラスの粉末が糊で塗りつけられた「ビードロヨマ」が使用されるのです。江戸の昔から大人こそが夢中になる遊びで、お金持ちのおじさんたちはお弁当にお酒、芸者さん達を引き連れて、食べたり飲んだり踊ったりしながらハタ揚げを楽しんだと言います。
ハタ揚げは長崎市民の代表的なレジャーだったので市内には結構あちこちにハタを作る職人さんが住んでいてハタ屋さんがあったと記憶しています。我が家の近所にもハタ屋さんがありました。またこのハタ屋さんは駄菓子屋も経営し、提燈や正月の飾りなども作っていて、駄菓子を買いに行くとそのすぐ脇で職人のおじいさんがハタや提燈を作っており、私はそれを眺めるのが好きでした。なんかね、木枠に竹ひごを通して紙にさーーーっと糊を塗って貼り付けていくんですよ、それが皺一つよらないんです。アレはもう、魔法でした。

そんな職人の技を持つハタ屋さんも、長崎ではこの小川凧店ぐらいしか残っていないと言います。競技人口の減少がその原因かもしれません。私も小学生の頃ハタ揚げに挑戦しましたが、難しい。そしてハタは工芸品でありますから、ちと、小学生には高価です。糸を切られたハタの所有権はそのハタを拾った人に移るというルールも過酷で散財は必至と言えましょう。平賀源内が言った「長崎に多いもの」の「馬鹿」はハタ揚げに熱中する大人たちを指していたかもしれません。カラフルなハタもビードロを絡ませたヨマも決して安いものではなかったはずで、いい歳こいて仕事もせず、昼間からハタ揚げ熱中して財産を潰すものもいたといいます。
春先に唐八景というこれまたハタ揚げが盛んな山に行った時のこと、ハタ揚げに興じるオジサンたちの一団がいました。近寄ってハタを見せてもらったら、なんとヨマ(タコ糸)に針金でフックが装備されていました。オジサンの話ではこのフックで敵のヨマを引っ掛けると、実に自慢げに言うではないですか。ヨマ(凧糸)を切られ風に流される敗者のハタをこのフックで引っ掛けて回収するらしい。「なんと、そこまでやるのか!」と度肝を抜かれました!!
オジサンたちはカラフルな自慢のハタを高く高く揚げて巧みに操り、相手のハタに絡ませ、ヨマを切る。そしてその度に「ヨイヤー」と大きく歓声をあげていました。そんなオジサンたちはとてもとても楽しそうでした。私も、あと10年ぐらいしたら、ハタ揚げデビューして馬鹿になりたいな!!
国宝の大浦天主堂をはじめとして、長崎にはカトリックの教会が沢山あります。
長崎が開かれた当時大村の殿様が、信仰心とか海外交易の利益とか領地の保全とかいろんな事情があって、長崎をイエズス会に寄進しちゃったりしたので長崎には沢山の大きな教会があったといいます。しかし、その後禁教が徹底されて、それらの教会はことごとく打ち倒されました。
そして、かわりに、長崎には沢山のお寺や神社ができました。キリシタンであることが許されなくなった街は、ある意味宗教的真空地帯、本邦の僧や神官達は、「今こそ正法を長崎の人々に伝えん!」と宗教的野心を持って長崎を訪れたかもしれません。
島原の乱で一揆勢、非戦闘員も含むおよそ3万7千人がほぼ皆殺し、島原半島南部と天草諸島から人間がいなくなってしまったのでは?とも思える江戸幕府のあまりにも苛烈なシャレにならない所業に、禁教令の後もキリシタンであり続けていた多くの長崎市民はさぞかし肝を冷やして震え上がったことでしょう。キリシタンだなんてことが奉行所とかに知れたら命が無い!長崎の秋のお祭り「おくんち」やお盆の墓参りや精霊船が派手になった一因に「私達は諏訪の神さまをこそ信仰してるんですよ」、「仏とご先祖を大事にお参り奉っているのですよ」という表明があり、長崎を支配した長崎奉行も禁教の徹底のために「おくんち」を推奨したといいます。
そんなわけで、長崎にはキリスト教の教会も多いですが、同時に神社仏閣も多いのです。

長崎の昔の地図を見てみると、出島を中心に市中を囲うようにぐるりとお寺や神社が建ち並んでいます。(地図の赤い印が神社仏閣の類で、今もそのほとんどが残っています)
これはまるで、長崎から奥へ、異国の神の侵入を決して許さないという結界のようであります!!
また、これらのお寺は平地より一段高い山の麓にびっしり建ち並んでいるので、長崎港に入った異人達はその船上から黒々と光るお寺の甍が長崎の街をぐるりと囲む威容を目の当たりにしたに違いありません。
長崎は海外に開かれた数少ない窓。多くの異国の人々は長崎を通してしか日本を知ることが出来ませんでした。長崎は異国の人々に対して日本をアピールできる場でもあったので、市中を囲う神社仏閣の威容は日本にとっては外国へのプレゼンの意味もあったかも。
さて、引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中なんですけど、今回はそんなお寺が建ち並ぶ寺町に限らず、駅の辺りからお寺巡り、諏訪神社~新大工辺りを攻めてみようってわけです!
今回のターゲットは「重文縁起よか界隈 ~寺町巡礼~」、「龍馬が見上げた長崎の空 ~風頭から亀山社中跡、そして寺町へ~」、「松森神社から諏訪神社へ ~緑に包まれた聖地・天満宮とお諏訪さん~」、「元祖長崎 ~桜馬場・夫婦川から新大工~」、「超VIP出島蘭館医「施福多」の奇跡 ~シーボルトへの道~」の五件!!

長崎駅のほど近く、福済寺の大きな観音像が見えるのにちょっとびっくりするかもしれません。福済寺は戦前は七堂伽藍を有し、国宝にも指定されていたほどの堂々たる唐寺であったそうですが、惜しくも原爆で燃えてしまいました。現在は長崎の港を見下ろすように観音様が佇む近代的なお寺になりました。お寺の裏にはちょっと独特の雰囲気の墓域があり唐寺の歴史を感じさせます。

唐寺と言えばこの聖福寺も独特の雰囲気があっていい感じ。山門をくぐって、韋駄天と布袋が祭られた天王殿を見上げると苔むした石段、そのむこうに蘇鉄と朱い大雄宝殿が。
さだまさし原作の「解夏」の舞台でもあり、ちょっと寄ってみたいところです。

歴史のあるお寺にはいろんな逸話や伝説が残っているものです。長崎の民話の中でも秀逸なのはこの光源寺に伝わる「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」でありましょう。光源寺HP内にこの「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」のお話が載ってるので是非ご一読あれ。
■光源寺のHP(http://www1.cncm.ne.jp/~k-naoya/index.html)
光源寺HP内「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」(http://www1.cncm.ne.jp/~k-naoya/page013.html)
毎年8月16日にこの幽霊の像が御開帳になります。以前この「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」の御開帳に行ったことがあるのでそのときの画像をせっかくなのでアップします。

暗闇の中に浮かび上がる「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」!!

お顔もスゲー迫力、ギザ恐ろしっスなあ!!
恐ろしげな幽霊の像と言うセンセーションが多くの人を惹きつけますが、この「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」のお話はとても哀しいお話であります。愛し合った恋人に会いたい一心で京から長崎への長旅、その末に知った恋人の裏切り。しかし、その恋人を恨むことなくわが子への愛のためだけに夜な夜な飴屋の戸を叩く。なんと心優しく哀しい女でありましょうか!!

お腹に子をやどしたまま亡くなった女性の怪、産女、その情念にまつわる怪談は全国に存在する(子育て幽霊)ようで、かの「ゲゲゲの鬼太郎(墓場の鬼太郎)」もそんな生まれでありました。
この光源寺に伝わる「飴屋の幽霊」の物語、様々な設定が実によくかみ合っております。像を作ったことになっている工人藤原何某は修行の為に京に行っていたというのも頷けます。やはり当時本物のアーティストになろうと思ったら、芸術の中心である京にて修行と言うのが自然でしょう。そしてこの工人の名を刻んだ作品が実際にお寺にある(画像上段)というリアリティ!京で修行していたときに恋に落ちたので、恋人は京の女。失意のうちに命を落とし、埋葬された彼女は京から来たので京の言葉で話し、三途の川の渡し銭として六文持っていたので、一日一文ずつ飴を買い、七日目は金がないという。死のキーワード六文銭と時間経過がリンクしています。
また、幽霊の謎が解決した後に恩返しとして幽霊が水源のありかを示すと言う後日談がまた素晴らしい。しかも、その幽霊が示した井戸も実在する(画像下段)という充実ぶり!!(もっとも、物語の舞台は麹屋町、きれいな水がたっぷりあってこその「麹屋の町」ですから、幽霊話より井戸のほうが古いと思われ、「幽霊が見つけた井戸」なんて言われるのをヨシとしない人もいるかもしれません)
あとは幽霊に飴を売ったという老舗の飴屋が残っていれば完璧なのですが・・・。
ところで、御開帳の後に幽霊を見せてもらった部屋を出ると米飴(画像中段)を貰えます。
幽霊が赤子のために買い求めた飴。
そして、この飴はお乳がよく出るようになると言います。
引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
浦上方面から取って返して長崎駅近くの西坂からぐるりと回って奉行所、中通り、眼鏡橋と回っていこう!
と、いうわけで今回のターゲットは「長崎はローマだった ~西坂の丘から愛と祈りの小径へ~」、「長崎奉行所を訪ねて ~時代を超えた長崎の中心地~」、「長崎歴史文化博物館めぐり」、「懐かしの街並み ~中通り界隈~」、「真ん中歩いても橋さるく? ~中島川石橋めぐり~」の5箇所!
長崎駅の向かい側、奇妙な形のカラフルな二つの塔が見える。日本二十六聖人記念聖堂聖フィリッポ教会の塔だ。

「スペインは先ず修道士を派遣して信者を増やし、後にその国へ侵略をはじめる」という増田長盛の報告を秀吉が真に受けたかどうかは知らないけれど、秀吉は京都で布教活動をしていたスペイン系修道会フランシスコ会の修道士と信者らを捕らえて処刑することを命じたと言う。
捕らえられた修道士とキリシタンは24名(なぜかイエズス会士もふくまれていた)。見せしめに左耳をそぎ落とされ京の町を引き回された後に長崎へ送られた。さらに道中2名が追加され26名が長崎に到着、この西坂の地に処刑された。
京で捕らえたのにわざわざ長崎まで歩かせて公開処刑。長崎では禁教令の後も交易のため宣教師達の活動も市民の信仰も黙認されていたが「ここらで長崎の連中にも俺が本気だって事を思い知らせてやる」的な効果を狙ったのだろう。また、道中では「こいつらは俺が先だって禁止していたキリスト教を説いたから、それを信じる日本人と一緒に長崎で処刑することにした by秀吉」みたいな札を先頭に掲げていたという。

処刑された26人は6名が外国人、日本人は20名。中には12、3歳の少年も含まれていたという。

日本二十六聖人記念聖堂聖フィリッポ教会は味のある建物だ。電車に乗って駅前のカーブを曲がるとNHKとこの教会のカラフルなモザイク見えてくる。小さい頃はなんだかよく分からない奇妙な形の塔にひどく目をひかれた。間近で見ると、カラフルなモザイクの正体が色鮮やかな数々の陶片であることが分かる。「ガウディっぽいなあ~」って思ってたら、この教会を設計した今井兼次氏は日本にいち早くガウディを紹介した人物。二十六聖人殉教の地にスペイン縁の設計。そして、ココに使われている陶片は殉教者達が歩いた京から長崎の道中の窯元の物が使用されていると言う。

長崎歴史文化博物館はかつて長崎を支配した長崎奉行所があったところにつくられた長崎の歴史と文化を知ることの出来る博物館!
この博物館が出来る前は県立美術館と知事の公邸があった。県立美術館はなかなか味のある建物であったし、そこを取り壊してかつての奉行所を再現した博物館を造るなんて公共事業は何の酔狂かと、税金の無駄遣いではないかと危惧したが、オープンしてみると意外に評判がよく、一寸だけ、ホッと胸をなでおろした。考えてみると、これだけ異国情緒だの和華蘭交流の歴史だの言う割には、長崎にはそれらをしっかり知ることの出来る博物館が無かったのは確かだ。資料は沢山あっても簡単に見ること、知ることが出来なかった。
そして、今回スタンプを捺すためだけに博物館を訪れたのだが、このとき意外なお宝にお目にかかることが出来た!
それがこのロビーの吹き抜けに吊るされた巨大な精霊船の帆。精霊流しの精霊船の帆はかつてはこんなにでかくて見事な物が使われていた時期があったというのだ。

幾つかの長崎の古写真でしか見ることが出来なかった伝説の帆、まさか実物を見ることが出来るとは思ってもみなかった!
現在では精霊船にこれほどデカイ帆をつけることは出来ない。電線とかがあるからね。
禅僧が巨大な精霊船の帆に大胆な墨蹟を披露すると言うパフォーマンスを見せる文化は失われ、今はただただ過激に大量の爆竹を炸裂させるばかり、、、とか思ったが、いや、精霊船を出す人々はやはり皆それなりに故人を想って船を出す。過激な爆竹など精霊流しという儀式のほんの一部分でしかない。精霊船を曳いてみれば分かる、どんなに派手に過激に爆竹を鳴らして銅鑼を打っても、やはり精霊流しは故人を送る儀式なのだ、悲しくて切なくてたまらなくなる。今も昔も多分それは変わりなく。
それはそうとして、しかしどうだろう、この圧倒的な迫力の墨蹟は!
この帆がついた精霊船が曳かれるシーンってのをやっぱりこの目で見たかった!!
こんなモノが見ることが出来るのも、この博物館が出来たおかげだと思う。この博物館が無ければ、こんな企画も無かっただろうから。
そして、この見事な帆がかけられた精霊船が曳かれている様を夢想しながら博物館を後にしたのであった。
奉行所(長崎歴史博物館)近くに来たら、せっかくなので栗饅頭を食べよう。
博物館の近くにある田中旭栄堂は明治31年創業の長崎の老舗の栗饅頭屋さん。

この栗を抱えた謎のキャラクターが異常にいい味を出している。このキャラのためだけに栗饅頭を購入しても良いと思ってしまう。

この田中旭栄堂はくんちシーズンになると巨大な栗饅頭をつくる。

桜町小学校の建つ場所は長崎の町年寄高木氏の邸宅であったり、その前は長崎にその名を轟かせた冒険商人末次氏の邸宅であったり、更にその昔はサント・ドミンゴ教会が建っていた所でもあったという。

桜町小学校の改築のときに、地面を掘っていたら、そういった高木、末次屋敷のあと、更に禁教以前この地にあったと言われていたサント・ドミンゴ教会の遺構(石畳、地下室、排水溝等)がボロボロと出てきたという。長崎の町の歴史を象徴するような遺跡だ。
さて、博物館や資料館でスタンプをゲットした後、電車通りを横断して眼鏡橋をはじめとした石橋群が架かる中島川と中通商店街を目指そうと公会堂前を通りかかると、くんちの練習を目撃!
踊っている二人が持つあの奇妙なアイテムから察するに、出し物は「阿蘭陀萬歳」に違いない!

「阿蘭陀漫才」は栄町得意の出し物で、才蔵と萬歳という二人の阿蘭陀さんがコミカルな踊りを披露するというもの。

せっかくなので、本番前の熱心な練習風景を激写してみた!本番が待ち遠しい!!
長崎の中通商店街には幾つかの思い出がある。ガンダムのプラモデルを求めて「長崎模型センター」に足しげく通ったことは我々の世代には共通の記憶だろう。高校時代の下校ルートは諏訪神社の前、オランダ館、サンデー、中島川沿いを歩いて東新橋あたりを渡ってジョイフル、ピエロ館とゲーセンをハシゴするのが決まりであった。特にピエロ館は思い出深い。初めてピエロ館に訪れたのは中学生のとき。美術部の先輩達と一緒に訪れたが、そのとき初めてハイスコアとか裏技とか口コミと同人誌に支えられた「ゲーセン文化」というものに触れたのだ。駄菓子屋やデパートの屋上とは違ったあのゲームセンター独特の空気、マニア達のコミュニティ、そんな未知の世界が不健康なテーブル筐体の奥底に、スプライトとFM音源の向こうに隠れていたことを知った。俺はピエロ館でその後の人生にまで影響を与える禁断の扉を開いてしまったのだ。しかし、そのピエロ館も既に無い。もはや、狭くて暗いゲームセンターなど必要ない、webとPSで事足りる時代なのだ・・・。
なんてことを思いながら中島川を渡って中通に行こうかと思ったら、中島川がなにやら賑やかであった。

納涼のお祭りであろうか?昔、中島川祭りなんてのがあったなあ(今もあるのか)とか思っていたら、着物を着た姉様方がお茶とお菓子を振舞っていたので、せっかくだから頂戴した。とてもおいしゅうございました、ご馳走様!!

更に、出店できな粉をまぶしたワラビ餅が売ってあったので、せっかくだから購入して、これまたせっかくなので眼鏡橋の上で食べてみた!!

くんちの練習風景を見たり、お茶をいただいたり、ワラビ餅を喰ったりしているうちに陽も落ちた。
予定のスタンプをゲットした頃には、眼鏡橋がライトアップされていた。
少し涼しくなったお盆過ぎの中島川であった。
引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
今回は長崎駅の脇から橋を渡り、長崎港を挟んだ対岸、稲佐方面にて、「国際都市・稲佐の交流史とお栄さん ~国境を越えた交流~」、「絶景!パノラマ360°~稲佐山~」、「1000万ドル夜景ツアー~日本三大夜景・稲佐山ほか~」の三件を狙う。その後再び橋を渡り、今度は長崎駅を北上して浦上方面に向かい、「長崎原爆資料館めぐり」、「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて ~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~」、「1945年8月9日長崎 ~旧長崎医科大学から山王神社~」の三件のスタンプを手に入れよう。稲佐方面は稲佐山山頂に二件、麓のロープウェイ駅近くに一件があるようなので、ロープウェイを利用して稲佐山に登れば一気に三件をゲットできるが、ウチからは遠い、また浦上方面の三件はそれぞれ離れた場所にあるようなので今回も車を利用してそれぞれピンポイントで攻略しよう!

稲佐山へ登るロープウェイは麓の淵神社から乗り込む。この淵神社で注目したいのがこの桑姫社。桑姫は豊後国を治める戦国大名大友宗麟の子義統の次女(阿西御前)、その桑姫を祀ったのがこの小さな社だ。
大友氏は秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)において非協力的であったと秀吉の怒りに触れて改易、その姫は大友氏の家臣志賀氏を頼り、長崎淵村に隠棲、近隣の村人に行儀作法(一説によれば養蚕も)などを教えた。そして姫君没後その墓地に桑の木が植えられていたため誰とも無く桑姫と呼ぶようになったという。
ところでこの桑姫様、キリシタン大名であった大友宗麟の孫娘であったのでキリシタンであった(洗礼名はマキゼンシア)。故郷を離れ寂しく没した姫君が眠るこの小さな社はキリシタンを祀る全国でも珍しい神社であるという。

淵神社からロープウィを使って長崎市街を眼下に眺めながら一気に稲佐山頂上を目指す。

我が家の窓から港の対岸を眺めると、この稲佐山が見え、山頂にこの塔が見える。緑の山肌の頂点にちょこんと乗っかる赤と白の鉄塔はまるで王冠のように見え、この稲佐山が長崎でも特別な山だと思わせた。

稲佐山と言えば、「1000万ドル夜景ツアー~日本三大夜景・稲佐山ほか~」というコースがあるとおり、夜景を楽しむべきだが、時間が無いのでスタンプ2個をゲットして稲佐山を後にした。余談だが、このロープウェイのガイドさん、夏はカワイイ浴衣姿でお出迎えしてくださる。
稲佐山から浦上へ。先ずは長崎原爆資料館を目指す。

この原爆資料館には、「長崎原爆資料館めぐり」、のスタンプがある。
スタンプの台紙を広げてスタンプを捺そうとすると、すぐ傍にいた少年が台紙を覗き込み、けっこうそろってきた俺のスタンプを見て「スッゲ~~~!」と感嘆の声を漏らした。そしてその様子を見た少年の父が「わい、どんくらいおしたとや?(お前は、どれぐらい捺した?)」と少年に問い、少年が「三つ・・・。」と寂しそうに答えた。
そこにはかなり揃ってきたスタンプを前に、一寸自慢げにスタンプを捺す俺が居た!
資料館内には様々な原爆の資料が展示されている。

溶けたガラス瓶。原爆が炸裂したときの熱線によって溶けたものだという。

これは原爆が炸裂した一瞬、強力な光と熱によって壁に焼き付けられた梯子と人物の影だという。
影の主はどうなったのか・・・。原爆の恐ろしさを物語る、あまりにも衝撃的な写真。
原爆炸裂後、爆心地一帯は地獄であったと言う。
「証言集」http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/hibaku/index.html(長崎新聞hp内)
「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて ~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~」のスタンプを求めて長崎原爆資料館を後に「如己堂」を目指す。

長崎医科大学助教授、物理的療法科部長であった永井隆は爆心地からわずか700mの長崎医科大学の研究室にて原爆に遭遇、原爆炸裂直後、自らも被爆し重症を負いながら原爆の被害者の治療にあたった。
その後原爆症に伏せた永井博士はこのわずか二畳の「如己堂」にて自らを検体として原爆症の研究、執筆活動に没頭した。(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/nagai/nagae01.html)
続いて「1945年8月9日長崎 ~旧長崎医科大学から山王神社~」のスタンプを求めて一本柱鳥居で有名な
山王神社を目指す。

この片側だけの異様な姿の鳥居が「一本柱鳥居」。
原爆の爆風で片側が吹っ飛んだ山王神社の二の鳥居、半身だけが奇跡のバランスで残り半世紀立ち続けてきた。

一本柱鳥居を過ぎると両脇に大きな楠を持つ山王神社に至る。

原爆炸裂直後の様子。原爆の炸裂で生じた爆風は、山王神社周辺をご覧のとおり何もかも吹っ飛ばしてしまった。そして爆心地周辺は70年は不毛の土地であろうと言われ、上の写真の大楠も葉が一枚も残らぬほどで枯死したと思われていた。しかしこの大楠、程なく新芽を吹きだして復活。
この楠木の復活は、長崎市民を大いに励ましたと言う。
引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
今回は長崎の西部、外海町方面を車でアタック!
夕陽が美しいキリシタンの里 ~遠藤周作が魅せられた町~、日本一の清流と伝統的な街並み・神浦~のんびり・ゆったり・そぞろ歩き~の二件を狙う。
外海はかつて隠れキリシタンの里であったという。
そして遠藤周作の「沈黙」の舞台となったのがこの黒崎教会。

本邦の古い教会はなんともいえぬ趣がある。この黒崎教会の赤レンガに黒い屋根瓦、洋風でありながら、この外海の風景に溶け込む素朴さはどうだ、なんとも愛すべきたたずまいではないか!!

教会建築は側面、そして後ろからもじっくり鑑賞したい。正面を美しく見せるのは当然である、が、入り口である正面から始まる建物を、その後方で如何にまとめ上げているかというのもやはり見逃せない。
この教会は横顔も後姿も素朴でつつましく、とても美しい。

この黒崎教会は明治30年(1897)に造成がはじまり、大正9年(1920)に完成したという。指導に当たったのはフランス人宣教師マルコ・ド・ロ神父。
慶応4年(1868)、28歳のときに来日。大正14年(1914)に74歳で亡くなるまでの46年間を日本で過ごしたという。

この外海辺りにはにはキリシタンの里であることを感じさせる物があちこちに残っている。

黒崎教会から少し離れたところにある出津(しつ)教会。台風など海からの強風に耐えるための低い屋根とそこから突き出した尖塔、そして教会を覆うまばゆいばかりの真っ白い漆喰が印象的。先ほどの黒崎教会の赤レンガとは対照的な色と形で実に上品で可愛らしく、こちらもとてもイイ味を出している。

正面の顔もイイですな。なんというか、ロマネスク風?
こういった古い本邦の教会は、和洋折衷の独特の味がありとても魅力的に映る。

さて、教会めぐりで歩き疲れたので、飯を食おう。画像は大胆不敵な面構え、ウツボとタメ張る磯一番の悪相でその名も高きあらかぶ様の刺身!全国的にはカサゴと呼ばれる魚であるこの魚、味噌汁に入れることが多いが刺身は食べたことが無かった。刺身に出来るほどの身の大きなアラカブにお目にかかることが無かったせいだろうか。せっかくだから俺は刺身を喰うぜ!ってことで喰ってみると、白身で淡白、身は程よくしまっていて美味かった!!

フランス人宣教師マルコ・ド・ロ神父は長崎滞在中に様々な慈善事業を展開。特にこの外海辺りは厳しい自然環境もあいまってその生活が非常に苦しかったので、ド・ロ神父は、製粉、搾油、パン、マカロニ、ソーメン等の製造、イワシ網工場、農業、土木、医療と多様な事業を起こし、指導するなど外海の生活向上に尽くして大活躍。前出の教会もド・ロ神父の手になると言うから、このフランス人宣教師がどれほど広範な知識を有していたのかと驚かされる。そんな神父が作ったソーメンは落花生油をひき油に用いる独特の製法で、少し太め、そしてコシの強さが特徴。先の大戦の混乱でしばらく絶えていたが現在外海の特産品「ド・ロさまそうめん」として甦った!

普通の素麺より太い。炎天下を歩き続けていたこともあってか美味い、美味い、ツルリ、ツルリと瞬く間に喰ってしまった!!

帰宅後、あらかぶの味噌汁に思い出したように挑戦。煮かたがいささか乱暴だったのか、若干身が崩れてしまった・・・、が、美味い。味噌汁にも良いだしが出たようだ、おいしゅうございました。
あらかぶに感謝!!
あ、そうそう、もちろんスタンプも二個ゲットだぜ!!
引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
今回は新地中華街からそのまま中国つながりで、唐人屋敷を目指し、大徳寺~丸山と攻める!
と、いうわけで、「媽祖様と唐りゃんせ ~唐人屋敷の歴史~」、「文人墨客も思案した? ~丸山巡遊~ 」、「高島秋帆旧宅跡から大徳寺へ ~江戸、明治の風情が残る奥丸山~ 」のスタンプを狙う。

先ずは唐人屋敷跡、館内辺りを攻めてみよう。
オランダとの交易のための外国人居留地だったのが「出島」、そして中国との交易のための唐人達の居留地が「唐人屋敷」であった。
出島や唐人屋敷に外国人たちを閉じ込めたのは密貿易の取締り、禁教の徹底、外国人と長崎市民の間のトラブル回避、治安維持が目的であった。出島は海に突き出した人工島で、出入りは橋一つ水門一つで制限したが、唐人屋敷は周囲をぐるりと塀と堀で囲い、勝手に出入りできないようにされていたという。
その唐人屋敷も開国と同時に役目を終え、現在は「館内町」という地名、4つのお堂、町を囲う堀にその面影を残すのみ、ではあるが、古びた市場、長崎独特の斜面に建てられた住宅、迷路のような町並みなど、とても味わい深い地域になった。
個人的にも思い出深い町だ。幼い頃は唐人屋敷入り口辺りの十膳会病院に入院していたし、小学生の頃は館内市場までお使いに来て、その駄賃はこの市場の小店や駄菓子屋でお菓子や独楽を買ったり、ガチャガチャで遣った。そして、高校生になってからは通学路だった。
この土神堂は五穀豊穣、蓄財にご利益アリと言われる中国の土地の神さま、「福徳正神」を祀ったお堂。唐人屋敷に押し込められた唐人さん達は先ずこの神さまを祀る聖堂を建てることを申し出たそうな。長崎に来た唐人さんは唐船に乗ってはるばるやってきた商人。故郷遠く離れた土地で暮らすのも不安であったろう。唐人さん達ははこの神を祀る事によって、唐人屋敷を自分達が暮らしてゆく土地であるという心の安寧を求め、さらに商売がうまくいってしっかり蓄財できますようにって願ったのかも。

シーボルトの御用絵師、川原慶賀が描いた唐人屋敷の絵の中には、この土神堂の前で蛇踊りをするものがある。蛇踊は春節の頃に五穀豊穣を願って舞うもの。唐人さん達はこの絵のように蛇踊りを唐人屋敷に持ち込み土神堂の前で祭祀を行って遠い故郷に思いをはせたのだろうのだろう。
蛇は脱皮を繰り返すことで成長する生き物、死と再生のシンボル。冬という死の季節を超えて訪れる再生の春を祝うにはぴったり。
そして、唐人屋敷の隣町である籠町の人々がこの蛇踊りを見て、長崎の秋の大祭「くんち」に奉納踊りとして披露すようになる。

明治に建てられたこの建物(福建会館)、は唐人屋敷の四つのお堂の中で最も大きい。やんわりと反った屋根、堂々とした扁額や媽祖様をお祭り申し上げる祭壇、柱聯等とてもいい味を出している。

福建会館と呼ばれ、媽祖様をお祭りしてあるので、天后堂とも呼ばれるこの建物、正しくはこの扁額のとおり「星聚堂」と呼ぶべきだろうか。長崎に海を越えてやってきた華僑の人々、航海には星の位置を読む必要があったのでその辺を意識しての「星聚堂」というネーミングだろうか。音の響きも字の形もカッコイイ。好きだ。ただ、かなり痛んでるので、心配。ピッカピカにはなおさなくてもいい(時代を感じながら鑑賞したいから)でも、このまま朽ちて失われてしまうのは勿体無い。何とかしてよ長崎市。

この星聚堂に祀られている媽祖様は、航海の安全にご利益アリとされる中国の心優しき女神様!
長崎に訪れた唐人さん達は航海の安全を願ってこの女神様をお参りしたそうな。
この媽祖様の祭壇の両脇の柱聯には(この星聚堂にあった解説によれば)
聖徳無厓被登覚岸
母儀垂蔭超渡迷津
と書かれている。
「天后の徳は限りないもので、ここにお参りすれば悟りの岸にのぼることができる
天后の庇護はたいしたもので、迷いの境界を越え渡り悟りをえることができる」
とかいった意味だそうな。
「迷い」を海(津)、「悟り」に至ることを岸に登ると表現するのが航海の安全にご利益アリとされる海神らしい。そして、なんといっても女神の母性と優しさが感じられる、実に良い感じの柱聯ではないか!
はるばる故郷を後に危険な航海の末にたどり着いた唐人達は、どんな思いで媽祖様にお参りしたのだろう。
唐人屋敷にはあと、天后堂と観音堂という小さなお堂があり、またそれぞれがいい味を出しているが、あまり時間をかけて巡るのも今回のテーマから外れるので先を急ごう!
おっと、土神堂前の町づくりセンターでスタンプを押すのを忘れずに。
「媽祖様と唐りゃんせ ~唐人屋敷の歴史~」をゲットなのだ!!
唐人屋敷の館内町を下り、広場場から十善会病院の前を横切って籠町を歩いていくと鳥居と長くて急な石段が見えてくる。この急な石段を息せき切って上り詰めるとそこが大徳寺公園。かつては立派なお寺があったが、檀家の減少、廃仏毀釈とかいろいろあってお寺は無くなり、大徳寺という地名だけが残った。そして長崎の七不思議に言う、「寺はなくても大徳寺」と。

古い長崎の古写真や絵葉書にはこの大徳寺の天神様(画像上の赤いお社)や藤棚、梅ヶ枝餅の老舗「菊水」(画像下)が現在と変わらぬ姿で写っている。
この辺りも個人的には思い出深い。高校生の頃はサンデー~ピエロ館~S東美とゲームセンターをハシゴして思案橋のハイテックでグラディウス2をプレイして締め。その後この大徳寺の天神様に1PLAY分のお賽銭でお参りをして学業成就を(腹いっぱいゲームして遊んだくせに)願って家に帰るという日々を送ったのを思い出す。
そんな事を思い出しながら菊水前で「高島秋帆旧宅跡から大徳寺へ ~江戸、明治の風情が残る奥丸山~ 」のスタンプを捺したのだった!
スタンプを捺した後、「菊水」奥、巨大な楠を眺めつつ坂を下る。しばらく道なりに進むと、かつて長崎一の花町として栄えた丸山にいたる。
丸山の石畳を歩いて行くと、丸山検番という芸者さんのプロダクション(?)が見えてくる。最近は幾人か若い芸者さんも入ったというので、一度くらいは芸者さんと楽しく遊んでみたいものだなあ・・・。

この丸山のスタンプは、料亭「青柳」前にある。「青柳」前の急な階段を登る(なんか急な坂とか階段を登ってばかり・・・)「文人墨客も思案した? ~丸山巡遊~ 」のスタンプアリ!この料亭で腹ごしらえと行きたい所、そして長崎らしさを実感するには「卓袱料理」を食べるべきだが、ホント、スゴク食べたいが、お金が無いので、「卓袱料理」はまた今度ってことで先に進む。
料亭でおごちそうを前に、芸者さんを呼んで、どんちゃん騒ぎ、とか、やってみたいなあ・・・と思いつつ・・・。
料亭の前でスタンプを捺してその前を素通り。堂々たる陰陽石で有名な古刹正覚寺前、茂木街道を通って高島秋帆旧宅跡へと至る。
タカシマアキホと読むとグラビアアイドルみたい・・・とか昔思った。
高島秋帆は長崎を治めた町年寄の高島家に生まれ、日本の砲術と西洋の砲術の力の差に驚き、国防に危機感をおぼえ、西洋砲術を学び、装備一式を私費で用意、そして高島流砲術を編み出した!さらに秋帆は幕府へ意見書を提出、江戸へ登って武州徳丸ヶ原にて公開演習を行い、自らの砲術を披露して西洋砲術の導入を進言、幕府からは砲術の専門家としての信頼を得た。が、讒言、陰謀によって投獄され、10年ほど後に釈放され幕府で再び砲術の専門家として活躍したという。

そんな高島さんちがココ。
高くそびえる見事な石垣を眺めつつ、高島邸跡の石段を登る。この古びた石段、実に良い感じ。だが、残念ながら高島邸は、「雨声楼(うせいろう)」なんていうスゴク情緒ある詩的な名前の建物だったんだけど、原爆で倒壊。現在ではこの石段や井戸とか幾つかの遺構がその面影を残すのみ。

砲術の専門家高島秋帆はこの自宅に砲術の練習場を設けていたそうな。それを示すのがこの砲痕石。
長崎の町年寄の家で、半端ではない財力を持つとはいえ侍ではない。だのに武器を揃えて砲術を完成させた。そして彼の元に砲術を学びにくるものも少なくない。
「オランダかぶれ」の長崎の町年寄がただならぬ影響力を持つということに、一部の幕臣が危機感を感じ、秋帆に陰謀を仕掛けたのだとしても無理からんことだったかもしれない。
ところで、秋帆が演習を行った武州徳丸ヶ原は、高島秋帆にちなんで現在は高島平と呼ばれるようになったという。
長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中!
ここでおやつを一つ紹介。

果物が好き。なので斜行エレベーター近くにあるシマダ果実店のフルーツポンチを食ってみた!ゴロゴロとカットされた果物が入っており、甘みあっさりのシロップがまた美味い!
大浦天主堂をクリアして現在42個のスタンプのうち5個をGET!
大浦天主堂前の石畳の坂を急ぎ足で下りて港の方、大浦の海岸を目指す。次は港の辺りから出島、中華街のスタンプを制覇しよう!
ターゲットは、「長崎県美術館めぐり」、「長崎港水辺散策 ~出島ワーフ・長崎水辺の森公園~ 」、「長崎港クルージング~潮風に吹かれて海さるく~」、「出島タイムスリップ ~扇形の宝の島~ 」、「チャイナタウン長崎 ~新地中華街界隈をぶらり散策~ 」の5件!
この大浦の海岸辺りは、俺が小学生くらいの頃は使われることの無くなった貨物列車(軍艦島とかで採れた石炭を運んでいた?)の線路と、太平洋戦争の頃、造船所の方を長崎市民から隠すために作られたという目隠し倉庫が立ち並ぶ、長崎の歴史の盛衰を匂わせる独特の寂寞とした雰囲気を醸し出すモノクロの世界だったが、今では公園とか美術館とか出来てすっかりキレイになった。
そして、狭い長崎には大きな公園がちっとも無かったので、この港の埋立地に出来た公園は早速長崎市民の憩いの場になったようだ。
しかし、この公園で憩うのは人間ばかりではない。

我が家の辺りでは、カラスよりも「とんび」の方を多く見かける。長崎では公園のゴミ箱を狙うのは、カラスではなくとんびなのだ!
川崎に住んでいたとき見かけた、ゴミステーションに我が物顔で屯するカラス達、その瞳の奥に人間を見透かしたような狡猾さを感じてゾッとしたが、長崎のとんび達も侮れない。獲物を狙う鋭い眼差し。上空から超高性能の目で人間の様子を伺い、隙あらば油断だらけの人間の手から直接獲物を奪う。とんびに油揚げを奪われるというのは本当のことなのだ。この俺も、かつてとんびに、持っていたクリームパンを奪われたことがる。
長崎に来たら、とんびに注意されたし!!

港の埋立地に出来た長崎県美術館。表ではなぜかエヴァンゲリオンが上映中であったが、この美術館は駐スペイン公使であった須磨弥吉郎の須磨コレクションが有名。実家の近所にこんな大きな美術館が出来たことは、非常に喜ばしい。
ココにある「雨のカスティーリャ」ってのが好きだ。館内に入場してじっくりとスペイン絵画を鑑賞したいところだが、ココも我慢。まあ、俺はココの会員なので、常設展は只で見れるから、今日のところは、長崎県美術館めぐりのスタンプだけ押して先を急ごう。
美術館のそばに飲食店とヨットが係留された船着場がある。ココで長崎港水辺散策 ~出島ワーフ・長崎水辺の森公園~ のスタンプゲット!公園からこの辺りはゴールデンウィークの頃には帆船祭りが開催される。

長崎の海の玄関口がこの大波止ターミナル。ここから伊王島行きや軍艦島クルージング等の船が出る。ここで港をめぐる観光船に乗って潮風に吹かれながらクルージングとしゃれ込みたいところであるが、そんな時間は無いので長崎港クルージング~潮風に吹かれて海さるく~、のスタンプを大波止ターミナルのロビーで捺したのみで先を急ぐのであった!

スタンプのみを狙っての移動だけではつまらないので、少しだけこの大波止辺りを「さるいて」みようか。
大波止のターミナルそばの大型商業施設から少し歩くと、赤茶色に錆びた巨大な鉄の玉を目撃するだろう。
「大波止に、玉はあれども大砲ナシ」という長崎市の七不思議のひとつに数えられるのがこの鉄の玉。この鉄の玉、直径およそ56cm、重量およそ550kgにもなる。長崎の港を描いた古い絵画にもこの玉が描かれているので、コレはかなり古いモノのはず。しかし、この鉄の玉、いつ、誰が、何のために作ったのか謎であるとされている。一説には島原の乱のときに、一揆軍の篭城する原城をぶっ飛ばすために出島で作られたのだと言う。が、それも口伝を元にした伝説であり、奉行所等の公式の記録にはちっとも登場してこないそうなので、島原の乱鎮圧のために作られたと言う説の信憑性は薄いという。また、直径56cm(直径だけなら大和よりデカイ!)、重さ550kgもの鉄の玉を撃ちだすには、大量の火薬、そしてその凄まじい炸裂に耐えうる頑強にして巨大な大砲が要る、そしてそんな大砲は何処にも、無い。それゆえに「大波止に、玉はあれども大砲ナシ」。
長崎の入り口である港に玉を設置したのは、長崎を訪れる外国人たちに「どうだ、この国はこんな巨大な玉を作ることが出来るんだぞ」という示威行為であったのかもしれない。

新たなスタンプを求めて旅は続く。次はいよいよ「出島」だ!
出島は鎖国中の日本において、海外(オランダ東インド会社)に開かれた数少ない窓口の一つ。非常に印象的な扇形の人工島であったというのは遥か江戸の昔の話。長い歳月のうちに周囲は埋め立てられて陸続きとなり、島ではなくなった。そして画像の扇形を想像させる白壁のカーブもかつての海岸線ではない。この、正門側の海岸線は中島川の河流を確保するため、ガリガリと削り取られたのだ。だから実際出島はもう、かつての姿では無い。
が、近年出島は整備され、建物も慎重な考証の上じっくりと復元、キレイになった。また埋め立ててしまったかつての海岸線も一部掘り返して「出島」時代の古い石垣を見物できるようになった。

キレイになって入場料を徴収するようになった出島の町並みを歩く、そして出島タイムスリップ ~扇形の宝の島~ のスタンプを手に入れた!
・せっかくなので、出島について参考リンク「甦る出島」(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/)

出島を抜けて中華街を目指す。長崎の新地中華街は、実に狭い。一寸歩くとすぐに通り抜けてしまう。中華門も俺が小学生ぐらいの頃はまだ無かった。が、この門のおかげで新地は実に「中華街」らしくなった。門は四方に存在しそれぞれ白虎、青龍、朱雀、玄武がシンボル。

さて、長崎ときたらチャンポンだ!
せっかく中華街に来たのにチャンポンだけで腹を膨らませて帰るのはなんとももったいない、他の中華料理もしっかり食べておきたいところだが、やはり名物は食せぬわけにはいかないから結局チャンポンを食べることにするのであった!!

この新地にあるゲームセンター「スペースタイム」は俺が小学生の頃初めてサスケVSコマンダを遊んだゲームセンターだ。ピエロ館や仲見世、大橋のゲームセンター亡き今、浜屋屋上を除けば長崎市内で最も古いゲームセンターの一つではないだろうか。中学生の頃はゼビウス、ジャイロダイン、高校生の頃はスペースハリアー、R-TYPEをよく遊んだなあ。
長崎にて長崎さるく博というイベントが開催中。
「さるく」とは歩いて回るとか、ウロウロするとか、そういったニュアンスの方言。「さるく博」とは長崎の史跡や名物をジャンルごとにピックアップして提示、観光客にその史跡や名物を歩いて見物して頂こうというあまり金のかからない体験型イベントだ。

このさるく博のイベントの一つに、スタンプラリーがあると聞いた。
長崎と言えば、かつては本邦で海外に開かれた数少ない窓口の一つであった為、古い洋館、中国風の寺、海外の影響を受けた文化等で知られる。そんな長崎独特の文化を感じさせる史跡や名物を集めて42のコースが作成され、そしてそれぞれのコースにスタンプ台が設置され、スタンプラリーが楽しめるというのだ。
せっかくだから、イベントを盛り上げ、地元長崎に協力するため、このスタンプラリーにこの俺も挑戦しようではないか!!
今回挑戦するスタンプラリーは「長崎遊さるく」。配布されている地図を頼りに自由に長崎の街を探索するというもので、地図にはコースと観光のポイントが解説してあり、そのコース上のどこかにスタンプが設置してある。
長崎さるく博のホームページから「長崎遊さるく」のコンテンツを見て42のコースを確認。それぞれのコースは行程1~3km程度だが、42のコースを全てまともに回っていたらタイヘンな時間がかかるということが分かる。それぞれ魅力的なコースだが、サラリーマンは自由になる時間が限られているのだ。ここはこの長崎さるく博のHPからスタンプ台の位置を確認、コースを無視してスタンプ台へのピンポイント攻撃にて42のスタンプを制覇することにした!(いきなり「さるく」の精神に反しているようだがサラリーマンの休みは短いのだ)
短期間で制覇するために、各スタンプ台への直接ピンポイントアタックをかけるという方針で、攻略のための計画を練る。まず、コースが隣接するものをまとめてそこから攻めていこう。「長崎遊さるく」のページを開いてコースとスタンプ台の位置を確認。居留地~長崎県美術館~出島~新地・唐人屋敷~丸山~浜町~中島川~寺町~諏訪神社~鳴滝というコースで市内を一気に攻略。南長崎方面の香焼~深堀~三和町~野母崎、茂木から東長崎方面の日見~古賀~矢上、長崎県西部の外海、そして浦上~淵神社~稲佐山は機動部隊(車)を使ってスタンプ台近くまで接近して奇襲。伊王島、高島は長崎港の近くに浮かぶ島なので船で別の日に渡ってじっくり攻略するしかない。
と、攻略の道筋をたてて、スタンプラリーにいざ、出発!
まずはご近所から攻めよう。東山手、大浦、南山手の、居留地界隈の三件と拠点施設、フリーゾーンに各一件挙げられている、「ハイカラさんが往来しよらす ~東山手洋館群とオランダ~」、「憧れの上海航路・大浦バンド ~外国人居留地通り~」、「長崎は今日も異国だった ~南山手洋館、港がみえる坂~ 」、「長崎ライトアップめぐり」、「歴史浪漫散策」の計五件。
まずはオランダ坂、活水女学院近くの東山手十二番館と野口彌太郎記念美術館にて、「ハイカラさんが往来しよらす ~東山手洋館群とオランダ~」、「憧れの上海航路・大浦バンド ~外国人居留地通り~」の、スタンプを押す。東山手十二番館は旧居留地私学歴史資料館として利用されており、広々とした庇が印象的。この広い庇が作る日陰の下のベンチに、長崎港のほうを眺めて座っていると心地よい風が吹き抜ける。とても良い感じの建物だ!

赤いレンガ造りの旧英国領事館は現在フォービズムの野口彌太郎をテーマにした野口彌太郎記念美術館として利用されている。この建物は思い出深い。丸窓が目、顔っぽく見えるなあって思っていた赤レンガの建物は、かつて児童科学館として使われており、発電機の模型、小さなプラネタリウム、様々な生物の標本等が陳列された教育施設であった。赤レンガの古い洋館に科学の未来、宇宙の夢、生物の不思議が詰まっているという絶妙のロケーション、幼い頃の俺はこの建物に、この上もなく魅せられた!!児童科学館と呼ばれた頃のこの建物に初めて訪れたときの興奮、あの時のワクワクした気持ちを上回る体験は、未だに無い。
東山手、大浦、南山手辺りにはもっと多くの洋風建築が残っていたし、普通に市民が暮らしていたが、老朽化を理由に幾つかは解体されてしまった。
歴史を象徴する事物を保存していく事はとても難しい。古いものは常に「これは保存する価値があるのか?」という厳しい目に晒されており、そしてもっと多くの価値を生むものに換えてしまおうと企てる人々が涎をたらしてそれを狙っている。また生活する人も、古い洋館よりは清潔で便利な新しい家で暮らすことを望むだろうし、他人がいくらその建物を愛していても、所有者の意向を否定できない。

幼い頃から慣れ親しんだ味のある石畳の道も、先日乗ったタクシーの運転手にとっては「観光には良いかも知れないが、車はガタガタ揺れるばっかり」程度のものでしかないようで、そんな感想を聞かされるのは一寸悲しい。

左上の石造りの建物は平成二年国指定重要文化財になった「旧香港上海銀行長崎支店記念館」。長崎でも最大規模の洋館だが、この重厚な建物すら解体の危機に晒され、「国際交流会館」等という何のための、誰のための建物か良く分からない、ありがちなオモシロ公共建築にあやうく建て替えられそうになったと言うから実に油断ならない。

路面電車を脇に眺めながら、大浦あたりを歩く。この路地の奥、階段の手前辺りに駄菓子屋があり、そこで「トランキライザーガン」とか「スクランブル」とか「クレイジークライマー」を遊んだのは懐かしい思い出だ。

次の目的地はグラバー園。今回は南山手を上るグラバースカイロードと呼ばれる斜行エレベーターを使って、グラバー園を頂上から一気に攻め落とす!
本来ならば、グラバー園は下から、動く歩道を乗り継いで港を中心にしたすり鉢状の街の景観が展開していく様子を眺めながら上るほうが良い!と断言したいところであるが、今回は時間も限られているので斜行エレベーターを使おう。

斜行エレベーターに乗ろうとしたら、沢山の観光客で列ができていた。待っているのももどかしい!と思って斜行エレベーターの脇の坂を駆け上る、と意外にキツイ!登っても登ってもつきない階段。しまった!長崎の坂を甘く見ていた!!猛暑も手伝い汗じゅっくい(ぐっしょり)になり、息も絶え絶えになりながら登ったのであった。

坂を駆け上がったので疲れた!疲れたので予定は無かったが南山手レストハウス(南山手乙27番館)で休憩。テラスの柱が印象的な小さな可愛らしい石造りの洋館は休憩にはもってこいだ。観光客の皆様にもゼヒお勧めしたい!!

グラバースカイロードを使って、グラバー園の第二ゲートから入場してすぐの建物が、旧三菱第2ドックハウス。ここの二階のテラスからの港の眺めがなかなか良いが、急いでいるので「歴史浪漫散策」のスタンプを押して、二階には登らず、グラバー邸を脇に眺めながら坂を下って次の目的地南山手地区町並み保存センターを目指した。

南山手地区町並み保存センターは、幼い頃お世話になった小児科のお医者さん縁の建物!幼い頃風邪をひき、診てもらおうと行った待合室に置いてあった漫画本は、水木しげるの作品集だった。沢山の人が読んだ古書だけがもつ凄み、ボロボロの暗い色のハードカバー、そして本の内容は南方での戦争がテーマであった。主人公が激しい戦闘(明らかに負け戦)をどうにか生き延び、目とか腕とか吹っ飛ぶけど「おっ、生きてる」というせりふをはく。そんな内容だったと思う。風邪で具合が悪いときに読むにはキツイ本であった。ゾッとしたのは風邪による寒気ばかりではなかった。戦争になったら、目とか腕とか、生きるとか死ぬとか、実に軽くなってしまうんだなと思った。

大浦天主堂は、西坂で処刑された二十六聖人のために捧げられた教会で、日本最古の教会にして、唯一国宝に指定された教会建築。設計はフランス人プチジャン神父、建築に腕を振るったのは、軍艦島の開発も手がけた当時屈指の天草のゼネコン(?)、棟梁小山秀であったという。
この教会が建てられてからも、日本は依然としてキリスト教を禁止していたが、この教会を浦上のいわゆる隠れキリシタンがコッソリ訪問し、神父に自分達の信仰を告白。実に200年以上に及ぶ幕府禁教政策下の厳しい弾圧にあっても、信仰を捨てずに受け継いできたことを明かした。ここから日本のキリスト教は、復活に向けて動き始めた。鎖国や禁教は、当時の急激なグローバル化による文明衝突を回避するための、日本なりの選択であり有効な政策であったのかもしれないが、いつまでも人のココロは縛れぬもの。この告白はキリスト教の問題ばかりではなく、日本に信仰の自由が生まれる歴史のターニングポイントであった。大浦天主堂はその古さや建物の美しさばかりでなく、そんな劇的な歴史の舞台であったことに、国宝たる価値がある。
それらを踏まえて、劇的な告白のシーンを想像しながら美しいステンドグラス、蝙蝠天井や柱のカーブをじっくり鑑賞したいところだが、先を急ぐので中には入らずに、スタンプ「長崎ライトアップめぐり」をゲット、次の目的地「長崎県美術館」(長崎県美術館めぐり)へと急いだのであった!!

本日は、このワルミネールのお誕生日。ハウステンボス(http://www.huistenbosch.co.jp/top.html)はお誕生日に訪れると、いろんなオマケ(http://www.huistenbosch.co.jp/service/birthday/index.html)があるという。そんなわけで、せっかくだからハウステンボスに行ってみた!!

春のハウステンボス(http://event.huistenbosch.co.jp/)と言えば、チューリップ。会場内はチューリップの花が咲き乱れ、まるで私の誕生日を祝福しているかのようであった!

このピンクのフリル付の可愛らしいチューリップは、2000年に品種改良で誕生した新種のチューリップ、その名も「ハウステンボス」(http://event.huistenbosch.co.jp/tulipes_04.html)。もちろんその球根はハウステンボス内で購入可能。

誕生日の来訪者は、この緑の熊をつけなければならない。この熊が、誕生日だという証明になる。この熊をつけて、ハウステンボス内をうろついていると、「お誕生日おめでとうございます!!」と皆が祝福の声をかけてくれるのだ!

お誕生日の特典で、占いが半額!では、この新たな一年を占ってみるのも一興、と言うことで天星ホールへ!この占いは、最新の占星術を取り入れたコンピューター占い。生まれた場所、時間、性別等をマークシートに記入することでアッという間に結果をはじき出す!!

占いってのは、面白い。自分の情報をインプットすると、それを元に複雑怪奇な計算でもっていろんなパターンの回答を導き出すのだから。
「どんな答えが出るのかな?」ってワクワクするね!!

オークションハウス「ランガダイク」にて「競り下げ式」オークションに挑戦!最初に金額が提示され、次第に価格が下げられていく。購入を希望するものは、購入したい金額になったら、席に取り付けてあるボタンを押す。待てば待つほど安く購入できるが、待ちすぎると、他の購入希望者に先に買われてしまい入手できなくなる。このルール、意外に燃える。このワルミネールも挑戦してみたが、ついつい値段が下がるのを待ちすぎて他の購入希望者に先を越されまくってしまった。このオークション、他人に落とされると、東亜プラン系のシューティングゲームで、ボムを使わぬうちに自機を失うもどかしさに似た悔しさがある。

今回利用したホテル「アムステルダム」(http://www.huistenbosch.co.jp/hotel/ams/index.html)ハウステンボスの町並みに溶け込むようなロケーションと、可愛らしい中庭がイイ!!

お誕生日なので、腹いっぱいに喰おうと心に決めた。洒落たコースも良いが、今回は欲望のままに喰おう!
というわけで、バイキング形式の食べ放題に果敢に挑む!!そして、いろんな料理を皿に載せた、その後、何度も何度も肉、肉、肉、と無限に続く肉食コンボでハウステンボスを堪能したのであった!!

昔、家族でお出かけをした日、夕食後お土産として買って帰っていたのが「桃太呂」のぶたまんだった。
そんな思い出のぶたまんが、いつのまにか雑誌「ブルータス」で非常に高い評価をうけていたという。
ブルータス@マガジンハウス企画の「日本一の手みやげはどれだ!?」
にて中華まん部門にて当店の「長崎ぶたまん」が堂々一位!!に選ばれました。
*秋元康様 「手土産の秘密兵器にしたいですね。手土産の殿堂入り決定!!」
「名前を思っただけで味を思い出します。胃袋にインデックスが付いている。」
*佐藤可士和様 「皮がうまい。もちもちした皮と、ゴロっと粗い肉のバランスがいい。サイズもデカすぎず、中の肉汁もおいしくて、これ、もっと食べたいです。もう、ぶっちぎりです!」
*松任谷正隆様 「僕も<桃太呂>が1位。これぞぶたまん。こってりすっきり。一生食べていたい。「ラストエンペラーの贈り物。」」
等、著名人の方々より最大限の評価をいただきました。
と、いうわけで桃太呂のぶたまんを買ってきた!

長崎市内に幾つかの店舗ができたようだが、昔からある思案橋の店に行ってみた。夜の街に蒸気をもうもうと吐き出す。
懐かしいなあと、思いつつ、今日もぶたまん10個を土産に家路についた。

桃太呂のぶたまんの包装、昔と変わってないね、って思ったらホームページのURLが記載されてるよ。長崎を離れても、安心して桃太呂のぶたまん情報がゲットできるぜ!!

コンビニでよくお目にかかる肉まんと比べると、桃太呂のぶたまんはふた周りほど小さく子供の握りこぶしくらい。手軽に食べられるサイズが良い!

喰った!美味い、相変わらず美味い!!
桃太呂のぶたまんが美味いと決定付けているのは、その皮であると思う。もっちりとした食感となにか、こう、独特の味わいがある。具も添付されているタレも美味いが、やはり皮、この皮の味わいだけは忘れられない。長崎を離れて、寒い冬に腹をすかせてコンビニで買った肉まんも暖かく美味しかったし、幸せになれたが、その度に思い出す桃太呂のぶたまんの味!それは、まるで昔の恋人とつい比較してしまう残酷なる人間の性!!
ああ、桃太呂のぶたまんをこんなにいつでも食べられる、なんて幸せなんだ。そうか、離れて初めて分かったよ、僕が本当に愛していたのは君だったんだ!!
■桃太呂のホームページ・・・http://www.butaman.co.jp/
サイト内には通販もアリ、長崎を離れていても、桃太呂のぶたまんを購入できる。http://www.butaman.co.jp/order/index.html
また「長崎ぶたまんの紹介」http://www.butaman.co.jp/butaman/index.htmlというコンテンツにぶたまん作りの様子や具材の解説があり、何気なくたべていた桃太呂のぶたまんの奥の深さを知った!!
九州は福岡県太宰府にできた国立博物館「九州国立博物館」
(略して九博)へ行ってきた!
九博は東京、京都、奈良に続いてできた国立博物館、オフィシャルホームページには、
「日本文化の形成を、アジア史的観点から捉える」という、独自のコンセプトに基づき、展示を行うのみならず、文化財を守り、調査する博物館科学の現場としての、重要な役割を担います。
太宰府天満宮に詣でる人々に混じって、太宰府周辺の民間が経営するパーキングに駐車。当初、直接九博へ向かい、九博の駐車場に車を止めようとしたが、警備員に「一杯だから」と言われ、仕方なく太宰府天満宮周辺の駐車場を使うことにした。天満宮、九博間にはトンネルがあり、そこにはエスカレーターと動く歩道が設置されて楽に移動できる。
そして、トンネルを抜けると太宰府の緑に囲まれてギラギラと太陽の光を反射する波型の巨大なオモシロ建築が目に飛び込んでくる。

なぜ波型なのか、そして、顔みたいなのもついている。アジアとの交流に重心を置く九博、それゆえに海とか鳥とかイメージしたのであろうか?ガラスが反射して周囲の木々を映し出す、四角いコンクリートの建物よりは波型の建物のほうが周囲の自然に溶け込むのかもしれない。

中に入るとスゲー広々。波型の建築は四角い建物を覆っているという感じ。

九博で開催された展示。
開館第一弾は「美の国日本」。国宝級のお宝の数々が九州に上陸!九博のコンセプトはアジア史的な観点ではあるが、九州に国立博物館ができたおかげで、この企画のように中央でしか見ることができなかったわが国の国宝級のお宝を見ることのできるチャンスが増えた。実に喜ばしい。
今回の「中国美の十字路」は九博らしい企画と言えるだろう。本邦の文化がアジア各地と互いに影響しあってきた歴史、とりわけ中国大陸からの文化に大きな影響を受けた。その中国からこれまた国宝級のお宝が続々と上陸。これはタマラン!!
常設展のコーナーも魅力的だ。海外交流に軸をおき、その歴史を展示品とともに追っていくことができる。古代の日本をテーマにすれば、魏志倭人伝の記述、三角縁神獣鏡、金印、とかね。

九博のおかげで沢山のお宝を目にすることができるようになったわけだが、不満がある。まず、展示のしかたというか、ライティングだ。館内は薄暗く、展示品にカリッとしたスポットライトをあててコントラストを強調するという見せ方だ。最近の流行だろうか。岡本太郎が縄文式土器を世に知らしめたときの画を思い出す。見た目とってもカッコイイ。展示品がスゴク神秘的に見えるから。だが、それで良いのかとも思う。主催者側の「ココを見せたい!」という意思が強く反映する代わりに他の部分は影になりとても見づらくなる。せっかくだからいろんな視点で、いろんな部分をじっくりと観察したいと思ってもそれができないもどかしさ。インパクトはあるが、展示物そのものをじっくり鑑賞するには不向きだと思う。
また、展示品の多くが東京、京都、奈良の国立博物館やそのほかのミュージアム、あるいは個人からの借り物やレプリカであることも残念だ。「あのとき見た天目茶碗は良かった、もう一度見たいなあ」とか思っても、再び見ることは難しいってことになる。できたばかりの博物館、やはり収蔵品が少ないのだろうか。
それと、開館したばかりの珍しさのせいか、多くの人が訪れてとても混雑している。これまたじっくりと鑑賞できない。洛中洛外図屏風など、沢山の人々が描かれており、それぞれが当時の生活を感じさせる行動をしているので非常に興味深く、見所が沢山ある。それなのに観覧の行列にあわせて移動しないといけないので絵の前で立ち止まってじっくりと見ることができない。屏風の解説には、立ち止まってじっくりと観察してみてね、みたいなことが書いてあったがそんな学芸員の思いとは裏腹に会場の警備員は「非常に混雑しているので、立ち止まらずにお進みください」などと無神経なことを拡声器を通じて言う。

美術館や博物館のお楽しみの一つがミュージアムショップだ。企画展示作品の絵葉書、そのミュージアム自慢の一品を使ったグッズはやはり元がお宝なだけにココロ奪われるものが少なくない。
そんなわけで九博のミュージアムショップにも行ってみたが・・・・。太宰府なので、菅公の合格セット、そして、奇妙なヌイグルミは戦国時代の医学書「針聞書」にて病気の原因とされていた蟲達をモチーフにしたと言う。
九博に不満がないわけではないが、これができたことはとても喜ばしい。国宝級のお宝を見ることができるし、また上野ではお目にかかれないような企画展示も開催されるかもしれない。
そして、文化財に指定されたばっかりに、中央に奪われてしまった、本来九州にあるべきお宝もこれを機に九州へ里帰りすることも可能だろう。
今後の九博には大いに期待したい!!

赤くて大きな楼門。さすがは大宰府、かつて日本と海外の最前線であったという歴史を持つ地だけあって、堂々としたものです!!

天災や病の原因は、故人が祟りなす怨霊と化してしまったから、と肝を冷やし慌てて神に奉ってしまうほどでありますから、都の者どももよほど心当たりがあったに違いありません。
まったく身に覚えがなければ落雷や皇子達の死も、ただの天災、事故、病気で済んだことでありましょう。結局は生きている者達の問題であって怨霊などとはナンセンス。
と、いうか、生前政治に文化に大変貢献した道真を、都を荒らす怨霊などに仕立て上げるとは何たる侮辱でありましょうか!もしかしたら、都の者達が「道真こそが都を荒らす怨霊であった」として恐れたのは、彼の死後立て続けに起こった災厄の諸々を彼が怨霊になったせいだとして、彼一人にその責を負わせて一気に流してしまうことで混乱にリセットをかけようというするキャンペーンであったのでははないかとさえ思えてしまう。もしそうであったとすれば、死して尚、権力者達に利用されたということになりますな。酷い話であります。
「なんか最近碌な事ないよね、清涼殿とか雷落ちてエライことになるしさ。」
「ホントだよ、なんかそれでみんな不安がっちゃってさ、なんかイベントとかパアッてやって雰囲気変えたいよな。」
「御祓いとかやっとく?」
「御祓いって・・・、何を祓う?いいネタあるのかよ。」
「あるじゃん、ほら、みんなして大宰府に追いやった菅ちゃん。」
「ああ、あれか、でもちょっと古くないか?」
「いいって、藤原さんち、もう忠ちゃんが実権握ってるから、『菅ちゃんが怒ってるんだよ!菅ちゃんにみんなで謝ろうよ!』って言って時平のアニキが死んだこととか全部菅ちゃんに被せちゃえばさ・・・。」
「そうだな、あいつらけっこう仲良かったみたいだから、いい機会だって乗ってきそうだな・・・、よし、やるか!!」
「そうこなくっちゃ!せっかくだから北野あたりの火雷天神使ってちゃんと社なんかも建てたりしてさ、やるっしょ?みんな少なからず心当たりあるはずだし!!」
みたいな感じで。
まあ、とにかく太宰府天満宮に来たら、学業成就とかをお願いしながらお参りするのが正しい姿であります。さあ、お参りしましょう、はい、パンパン(拍手)、「頭が良くなりますように!」

こちふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
道真が都を離れる前に、庭に咲く梅との別れを惜しんで歌を詠んだところ、その梅が主の道真を慕って一夜にして飛来したという伝説がありますが、その伝説の梅「飛梅」が拝殿の脇に!
梅が飛んでくるというビジュアルが凄まじい、夜空を翔る梅・・・。想像すると非常にファンタスティックな光景ですが、己を愛してくだすったご主人様がさびしく都落ち、遠く大宰府ではご主人様も寂しかろうと、その元へと思わず飛んで行ってしまった梅の気持ちがなんとも素敵。「言葉の壁」どころではない、二人を分かつDNAの壁!何しろ片方には脊椎がない、そしてもう片方は葉緑素がない!それでも通じる二人の心、これぞ究極、これこそ愛の理想形!愛してくれる者のそばに居てこそ、人(梅)は輝くのです!!
と、いうわけで、太宰府天満宮といえば梅、そして太宰府天満宮に梅ときたら「梅ヶ枝餅」!!

大宰府に左遷されて後、道真の住まい近くにて餅屋を営んでいた老婆が、失意の日々を送る道真に同情して時折餅をご馳走して道真を慰めた。道真逝去の折には生前彼の好物であったこの餅を梅の枝にさしお供えとして送った。これがこの梅ヶ枝餅の由来だという。
梅ヶ枝餅は、こし餡をもち米粉の皮にて包み焼き上げた御餅。焼きたての梅ヶ枝餅はちょっぴり焼きの入った皮が香ばしくかすかにパリッとしており、そこを一口かじるとすぐにほかほかとあったかくて柔らかい餅と甘いこし餡に遭遇、このパリッ、ホカッ、アマッという味の三連コンボはブランカのジャンプ強P、中P、強K並みに強力でピヨり確定の美味さ、食するときは是非とも心してかかっていただきたい!!
学問の神として有名な、菅原道真公を奉る太宰府天満宮に行ってみた!
菅原道真公は、わずか五歳で和歌を詠み、十歳にして漢詩を創って神童と称され、成人してからは宇多天皇より厚遇を受け、遣唐使の廃止を提言するなど政の中心人物とし活動、とんとん拍子に出世し右大臣に上り詰めるも、道真の台頭を快く思わぬ藤原氏などの他の貴族たちの陰謀で皇位の簒奪を謀ったと誣告され、大宰府の地に左遷され都に戻ることなくこの世を去ったという!
悲劇的な最後を迎えた道真の遺体は都に運ぼうとするもなぜか遺体を載せた牛車が動かなくなり、これは道真がこの地にとどまりたいと言っているのだと人々は解してその地に葬った。
ところが、道真の死後都に落雷などの災厄が襲い、これが道真の怨霊の仕業と恐れた朝廷は道真の罪を許して名誉回復をはかり、さらに北野天神を祭り道真を奉じて祟りを消そうとした。そして、道真が葬られた大宰府の地にも天満宮が建立されたと言う。
さて、そんな天神様へお参りせんと欲して福岡県は太宰府市へ!
太宰府天満宮の周りには、観光客のための周辺住民による民間の小さな100円パーキングなどが多数存在するので駐車場には困りません!適当な駐車場に車を止めて、いざ天満宮へ!
ところで天満宮の「天満」って道真公が死後に送られた神号の「天満大自在天神」から来たと言われてるんですって、怨念天に満ち自在に雷を落としたってことですか!?

七五三シーズンのせいか、この子の七つのお祝いにお札を納めに来た晴れ着姿の子供連れ、また開館したばかりの九州国立博物館の客も混じって結構な人手でありました。

鳥居をくぐって太鼓橋を渡り、天神様へいざ「とおりゃんせ」!!

さあ、お参りしましょう!頭が良くなりますように!!

道真公は、幼い頃は神童、成人してからは文章博士と学者肌、学問の神は伊達じゃあない!!
天神様の力をもってすれば志望校合格も目の前です、あとはアナタのがんばり次第、安心して勉学すべし!!

合格を祈願する絵馬が沢山!!絵馬の幾つかに目を通すと、受験生やその周りの人々の切なる願いが!!
その思いの数々がなにげなく絵馬を眺めていたワタシにどどーんと迫ってきてなんだか切なくなりました。願わくば、皆様が悔いなく全力を出し切れますように。
ところで余談ですが、ワタシのPC、「えま」と入力したら「絵馬」とは変換せずに、すぐさま英國戀物語の「エマ」と変換してしまいましたとさ。
【参考リンク】
■太宰府天満宮・・・・・太宰府天満宮のサイト
大阪府池田市にある「インスタントラーメン発明記念館」に行ってみたい!場所は、池田駅から徒歩5分。
思っていたよりも建物はデカイ。
早速侵入してみたい。
カップめんの容器が大量に陳列。
見たこと無いものも多い。
チキンラーメンはこの小屋から誕生した。
インスタントラーメンの歴史を学ぼう。
カップヌードルの自販機。何もかも懐かしい。
ここで、クイズゲームができるのだ。
カップめんをあしらった物体がいたるところに。
インスタントラーメンの発明者、安藤百福。
世界初の宇宙食ラーメン。
インスタントラーメンは、チキンラーメンから始まった。
カップヌードルドラマシアターは面白い。
マイカップヌードルファクトリーで、自分好みのトッピングを施したカップヌードルを作ろう。
まず、スープの味をレギュラー、カレー、シーフード、しおの他、世界のカップヌードル4種類から選ぶのだ。
今回は、カレー(300円)と中国のカップヌードル(350円)をチョイス。
中国のほうは、容器がプラスチックなのだ。
用意されたペンで、容器に好きな絵を描こう!
製造年月日も自分で書くのだ。ここで書いとかないと、あとでスタッフに注意されるぞ。
容器に麺を入れるのだ。
あのハンドルをグルグル回すと麺が入るのだ。
具は4種類から選べる。ここで、玄人は「ひよこちゃんナルト」×4などと注文するのである。
やさしいお姉さんがナビデートしてくれるぞ。
具を入れたらふたをして、シュリンク包装だ。
これで、完成だ!
エアパッケージに入れて持ち帰ることができる。
足踏みにより空気を入れるのだ。
エアパッケージに入れれば、持ち運びも安心だね!
ここは人気コーナーなのだ!
アメリカのカップヌードルは紙で包まれている。
地方のカップ麺も購入することができるぞ。
チキンラーメンのふたを模したテーブル。ほしい!
2階にチキンラーメンの手作りコーナーがある。予約してないと駄目だが、ガラス越しに見学だけはできるぞ。
ラマやカピバラばかりが長崎バイオパークではない!
触れることはできないが、ナマケモノなんかもいる。ナマケモノはホントに動きが遅かった。木に刺された餌の野菜に手を伸ばすのだが、あまりに動きが遅いので次々と餌を他の動物に奪われたりして、見てて非常に歯がゆかった!!

キリンは高い!でかい!ちょうど餌をあげているところに遭遇。なるほど、あんな高い櫓に餌を置くんだ、へ~。

ワラビーの親子。もうすこしで触れられる距離まで近づいたんだけど、逃げられた。触らせてくれなかった・・・。逃げるときのダッシュがね、もうすごいの。ワラビーさん驚かせてごめん。

さて、今回も動物たちと戯れて満足であった!
と、いうわけでお土産にカピバラグッズを購入。特に、このカピバラのぬいぐるみ、お腹を押すと「ぴゅうう」と鳴く。
バイオパークといえば、ラマとカピバラ!長崎バイオパークにはラマとカピバラがそれぞれ30頭近く飼育されており、その飼育数は日本国内でもトップクラスだという!!

と、いうわけで、今回もカピバラと戯れてみたのであった!!
カピバラは河川や湖沼などの水辺に群生する巨大なネズミなどと同じげっ歯類の動物。指の間には水かきがあり泳ぎが達者。
ネズミ同様に特徴的な前歯を持ち、タワシのようなごわごわした毛に覆われたずんぐりとした体型、ボンヤリとした眼差しがとてもいい味を出している。

バイオパークを歩き回って、ちょっと疲れたのでカピバラの隣で一休み。
ぼんやりしてると、カピバラの一団がトコトコと寄ってきてくれた!
偵察しに来たのか?仲間を心配してるのか?よくわからないけど、せっかくなので”なでなで”しておいた!!

ナデナデすると、気持ち良いのか眠りそうになる。ああ、なんて可愛いんだ!!

ひときわ大きなカピバラがいた。せっかくだから隣にお邪魔して一緒にボ~っとしてみた。

しばらくぼんやりしていると、またもやカピバラの一団がトコトコ歩いてきて、謎のフォーメーションでこちらに対峙したのであった!!

たっぷりカピバラとボ~っとできたのでカピバラのエリアを出ようとすると、ゲートのところでカピバラがお見送り、かと思ったら、彼らは脱走を企てるヤンチャなカピバラ君だった。

カピバラはこうやってしばしば自分たちのカピバラエリアから勝手に他の動物たちのエリアに”お散歩”に行くらしい。
ゲートを空けて外に出ようとすると、カピバラ君も何食わぬ顔で俺の後に続いて外に出ようとする。
カピバラ君が外に出ないようにゲートの隙間を俺一人しか通れないように狭めて出ようとすると、カピバラ君は不満げに「ピュルルルルウ」と鳴き、俺の足とゲートの間に潜り込んで外に出ようと結構本気モードの力で鼻先を押し付けてきた。
あの、おとなしい、無口なカピバラがこれほどまでに激しい自己主張をするとは!
カピバラの意外な一面にちょっとびっくり、そして俺に見せたこの意外なカピバラの本気は衝突することで友情が深まるパラドックス。俺とカピバラの心の距離は更に近くなった!!
触れることで、いろんなことが分かってくる。
檻の中の動物を眺めるだけでは理解できない事を体験できる。
バイオパークは奥が深い。
【参考リンク】
■カピバラ友の会・・・・超カワイイカピバラ画像あり、長崎バイオパークのカピバラの飼育員からのレポートなどカピバラの虜になった方は必見。
またもや、長崎バイオパークへ行ってきた。

長崎バイオパークは動物達を至近距離で観察できるだけでなく、幾つかの動物達には手渡しでエサをあげることが出来るという、動物好きにはたまらない施設。ここに行けばあなたもワタシもムツゴロウさんになって「かわいい~ですね~、よろこんでますね~~」等と言いながら、動物たちと触れ合うことができるのだ!
バイオパークに入場して、水辺のツルやクモザル達を過ぎれば石段がある。その石段の中ほどに優しい眼差しの白いラマがいる。前回はこのラマにカメラバッグを「モグモグ」された。

今回は、その反省で、バッグなど提げずに身一つでラマに挑んだのであった!(ちょっと腰が引けているが)

無事ラマをパスして「熱帯館」のドームへと向かった。

今回の「熱帯館」は前回と雰囲気が変わっていた。館内が蘭の花でいっぱい。色とりどりの蘭の花が咲き乱れ、蝶が舞っていた!!
「なんと美しい!ココは南の国のパラダイスか!!」と驚いた。

熱帯のジャングルの幻にクラクラしながら、ふと上を見上げると、オオコウモリと視線が激突!驚いてシャッターを押したらおかしなところにフォーカスが合ってしまった!!

更に館内をさまよっていると、お休み中のアルマジロに遭遇!

前回もこの二人はグーグー寝ていた。雰囲気は変わっても「熱帯館」の動物たちが変わらず元気そうなので安心したのであった!!
町中が陶器市の会場なので、お気に入りの器を探しているとかなりの距離を歩くことになる。
あー疲れた、ちょっと休もうか?

こちらのコーヒーは、カップがおまけで付いてくる。アイスコーヒーでも飲んで一休み。

歩いていると、お腹も空いてくる。そんなときには、この「ごどうふ(呉豆腐)」がお勧め。
「ごどうふ」は豆乳を葛で固めたもの。これを冷やしてヌタや黒蜜などをかけていただく。独特の粘りとツルリとした食感で何とも言えない喉ごしが堪らなくイイ!

陶器市の様子を激写していると、寿司屋の前で「いらっしゃいませ〜!」と元気に声を出している女子を発見。カメラを向けると無邪気にピースサイン。
なんとも素朴で可愛らしい看板娘であることか!

今回の陶器市で入手したもの。
とにかく、蕎麦猪口が欲しかったのでウロウロして見たんだけど、なかなか「コレッ!」というのに巡り会わなかった。仕方ないので、無難で安いのにしました。同じ器が複数の店に置いてあるので一番安い店を探したりするのも楽しい。
また、「在庫は展示品限り、ココにあるだけです、お買い得です、これが最期です!」と店員さんが声を張り上げていたので観察していると「展示品限り」であるはずの在庫が、売れる端から次々と店の奥より供給されるというえげつないシーンも目撃。
まあ、陶器市はお祭り、多少のえげつなさもあってしかるべき。買う側も、「器に惚れて買う」という強い自我を持つ、或いは知恵を働かせて売る側の仕掛けを見抜くといったことが陶器市を楽しむ為には必要かも知れない。
蕎麦猪口以外はすべて、衝動買い。中でもウサギの茶碗は今回一番のお気に入り。このウサギの茶碗にこの陶器のシャモジでご飯をよそって食べる・・・ああ、もう、その瞬間を想像するだけで・・・。
日本を代表する工芸品、有田焼の市が毎年ゴールデンウィークに開かれる。
長崎からそう遠い距離ではなく、日帰りが可能。せっかくなので有田陶器市に行ってきた。

通りの両脇に陶器屋がずらりと建ち並び、その前にずらりと陶器が並べられている。
陶器市には、軍手、リュック、帽子という装備で訪れるのが上級者だという。
陶器を傷つけない、手垢をつけないという配慮、リュックは重たい陶器を品定めするには両手を開けておく必要があるから、そして帽子は日中を歩くための日よけであるという。

そもそも陶工が本気で精魂込めて造った伊万里など、手に届こうはずもない。と、いうかそんな本気と向き合うだけの心構えでこの陶器市に来たわけでもない。
だから、こんな通りに並べられた投げ売り状態の陶器ぐらいがオレには丁度良い。マスプロダクツなものばかりだが、これだけ沢山あれば、安物といえどもチョット気になるような、自分好みの一品と出会うことだってある。また、同じ焼き物をアチコチの店で見かけたりもするが、勿論店によって値段が違ったりするので安い店を見つけると、何だか嬉しい。

そして、ある店にはいると茶碗を木琴のように打ち、楽器にして演奏する女子を発見!
有田焼きの大小様々な食器をうち鳴らすこの楽器、碗琴と言うそうな。
【ムービー】
碗琴の演奏。短いんだけど、せっかくなので。お茶碗の妙なる調べをお聴き下さいませ。
・wankin.rm ストリーミングはこちら。
(Real Playerのダウンロードはこちらから。)
伊王島に行ってみるか!連休で、そして、天気も良いからな!!
伊王島は長崎港の大波止より船で約二十分程にあるリゾート地。かつては「軍艦島」の名で知られる端島と同様炭坑の島だったが、炭坑は閉山そしてリゾート地として生まれ変わった。
しばらく前までは「ルネサンス伊王島」の名でPRしていた。そのため施設は微妙に南イタリアっぽい?伊王島の「伊」ってのにかけていたのだろう。が、最近伊王島は再びイメージチェンジ、アクティブに遊ぶリゾート地より「やすらぎ」と癒しをテーマにアピールするようになったようだ。
日帰りの船賃、食事、温泉付きで3000円程度。長崎港内をクルージングするのもなかなか良いだろう、というわけで伊王島へと日帰りの旅に出てみた。
大波止からコバルトクイーン号に乗船して出航。丁度、長崎港では帆船祭りが開催中であった。

真っ白な帆と船体が眩しい!
長崎港内をクルージング。南山手の洋館、三菱造船所の巨大なドックやクレーン、建設中の女神大橋等を眺める。海は穏やかで船はほとんど揺れず、船は快調に伊王島へと向かった。天気も良く潮風が非常に心地よかった。
爽快な船旅20分程で伊王島に到着。腹が減っていたので早速バーベキューへ。

肉、エビ、貝、焼きそばを焼いて食った!美味しく頂きました。特にお気に入りは「檜扇貝(ヒオウギガイ)」、色鮮やかで貝柱が帆立っぽい貝。
食後、温泉に入った。「やすらぎ伊王島」の温泉は、地下1,180mの赤崎層(香焼層)から沸き出す天然の湯。汲み上げ温度は約45℃で、毎分700リットルの豊富な湯量を誇り、常に純正の天然温泉に満たされ、100%かけ流しであるという。
海を眺めながらの露天風呂もあり。ノンビリ温泉を堪能したのであった!
入浴後、伊王島を散歩。

伊王島はカトリックの島でもある。これは伊王島に1931年に造られた「馬込教会(沖の島天主堂)」大天使ミカエルを奉じており、祭壇には大天使ミカエルの像、天井にはミカエルの名があった。天を突くようなゴチック風建築が印象的。伊王島に近づくとこの特徴的な教会が一番に目に飛び込んでくる。
散歩などしてると夜になったので長崎へ帰る。長崎港にはいると、丁度「帆船祭り」のイベントで花火が上がっていた。

ライトアップされた帆船と花火がとても美しゅうございました。帆船、長崎港内クルージング、バーベキュー、温泉、花火、3000円位でこれだけ楽しめるとは伊王島は良い!いやー、良い一日だった!!
巨大な柑橘類、ザボンを食べた。

ザボンは九州地方の果物屋さんでしばしば見かける巨大な柑橘類、文旦の別名。よく考えてみると、フレッシュなザボンは十年以上も食べていない事に気がついた。また、ウチの母親はこのザボンが好きだと言っていた。
そんなわけでザボンを買ってきた。

ドッジボールのようにデカイ。手で皮を剥こうとしたが、非力なオレには無理だった。
仕方ないので包丁の力を借りることにした。
包丁が果物ナイフくらいのサイズに見える。

切れ目を入れたので剥きやすくなった!ザボンは皮が厚い。2センチくらいはあるかな?かなり力が要る。包丁で皮を削った方が絶対早い。
ところでこの分厚い皮を砂糖漬けにした「ザボン漬け」というお菓子がある。

悪戦苦闘して皮を剥き、ついに実にたどり着いた!
実は外観に比べると小さい。皮がいかに分厚いかわかる。大きめの八朔って感じ。
食べてみると甘酸っぱくてジューシー。けっこうイケル!なんかスウィーティーみたいな味だった。
かつて「オランダ村」と呼ばれたテーマパークがあった。バブル期のテーマパーク乱立の先駆けとして知られる施設であったが、近くにハウステンボスがあるのに似たような施設は必要なかったのか、2001年には閉園した。その跡地を利用して、新たに「食」のテーマパークCAS ViLLAGEがオープンした。
そんなオープンの噂を聞きつけたのでさっそく行ってみた!

着いたのは夜だった。オランダ村の赤い煉瓦の建物をそのまま利用している。ライトアップされて、なんか、良い感じ。
「地産地消」がキーワード、地元で採れた農作物や海産物を活かした料理を出す。また、そればかりでなく、ご覧のように生け簀でとれたての魚の販売も!

このCAS ViLLAGE、和、洋、中、様々なジャンルのレストラン、食の施設が存在するのでどこに行こうかと悩んだが、とりあえずは何でも食えそうな「wasabi」へ行ってみた。
「wasabi」はビュッフェ形式で食べ放題。「地産地消」をコンセプトとしたこのテーマパーク、刺身や寿司は地元の新鮮な魚なのか!
地元で採れた素材が目の前で次々と調理され、出来たてが並べられるのだという!

庶民的な「ひじき」や「アジの南蛮漬け」なんかもあれば目の前でガンガン焼かれる厚くて柔らかい「ビフテキ」なんかもあったり。

デザートのコーナーには沢山のケーキとフルーツ、そしてチョコレートの滝が!
いわゆる、チョコフォンデュか!!

食い放題と聞いただけで嬉しくなる。何度も皿を空にしては料理を取りに行った。そして、もう、身動きできないほど喰った。
食後お茶を飲んでいたら、小学生が皿を持って「ココは天国じゃないのか?ココは天国じゃないのか?」等と何かに取り憑かれたように繰り返し叫びながら料理を取り、かけずり回っていた。
そして、隣の席には丸々とした体型の女性と普通の体型の男性というカッポーがいつのまに着席しており、テーブル一杯にパスタ、寿司、カレー、パエリア等、和洋中の炭水化物を集めまくって、(主に丸々とした女性が)その料理を喰いまくっていた。その迫力、見事なくいっぷりには、「おい、八戒、もうイイだろ!悟浄も止めろよ!!」と心の中で言わずにおれなんだ。
それはともかく、オレ自身も、あ〜よく食べた食べた。満足したよ!

料理の他にも、いろんなショップがあった。パスタ、スパイス、オリーブオイル、ちょっとカワイイ食器類、輸入雑貨等が販売されていた。
今回はとりあえず「wasabi」にしか行けなかったが次は他のお店にもチャレンジしてみたい。さて次は何を食べるかな!!
【参考リンク】
■CAS ViLLAGE・・・・・CAS ViLLAGEのオフィシャルサイト、施設の案内、コンセプトなど。テーマパーク経営が難しい今日、経営者の思い入れが実を結ぶかどうか。長崎人として暖かく見守っていきたい!
■CASビレッジが開園式・・・・・CAS ViLLAGE開園のニュース記事
ハウステンボスに行って来た!
春のハウステンボスと言えば、赤白黄色、どの花見ても綺麗な100万本のチューリップが咲き乱れるチューリップ祭りの季節。
昨年も咲き乱れるチューリップを充分に楽しんだ。
しかし今年は、吹雪だった。

この日、九州北部に寒気が流れ込み、3月の忘れ雪が長崎に舞った。
まあ、それでもチューリップは咲いているので、一応記念撮影!

鐘のミュージアムカロヨンシンフォニカにてハンドベルを体験。胸元に鐘を構えて少し下の方から前に突き出すように腕を振って鐘を鳴らす。するとグワアアーーーーンというとっても美しい音色が響き渡る。ピッカピカの鐘は意外に重い。鐘を鳴らすのにけっこう力が必要だった。

コンパニオンのおねえさんの指導のもと、「きらきらぼし」を演奏してみた。ド〜ド〜ソ〜ソ〜ラ〜ラ〜ソ〜♪。けっこう楽しかった、もっといろんな曲を演奏してみたい!と思った。
せっかくのチューリップも、雪の中では魅力半減、しかし、今回のハウステンボス来訪の目的は実はコレ。

17世紀のヨーロッパ絵画、ヨハネ・パウロ美術館から持ってきた絵画の数々が拝める。
長崎ではなかなかこういうのが見られないので、非常に貴重。
このポスターはレンブラント。レンブラントはオランダ出身。かつては出島を通じてオランダと交易していたのだから、オランダは長崎にとって馴染みが深い。またこのハウステンボスはレンブラントのエッチング(原版)も所持しており、今回はそれも展示されていた。勿論レンブラントばかりでなく、ティントレット、プッサン、ムリーリョなどの作品も展示してあった。特にこのポスターにもなっているレンブラントの「襞襟を付けた女性の肖像」は良かった、またその他にもスコレルの「マグダラのマリア」等には目を奪われた。工房作品が目立ちはするものの、やはり見応え充分であった。
と、まあ、雪の中でも充分楽しめたが、やはり、チューリップはうららかな春の日差しの下でゆっくりと鑑賞したい。俺はモーレンクラブの会員なので、入場料は無料。天気の良い日を狙ってまた来ることにしよう。

三月三日は桃の節句。長崎ではこの時期になると、お菓子屋さんの店先に「桃カステラ」が並ぶ。桃カステラは、文字通り桃を象ったお菓子。スポンジ状の生地に桃の形をした砂糖細工が乗っかるという非常に甘いお菓子だ。もともとは初節句のお祝い返しに配られる風習があったようだ。
不老長寿の果実である桃は、中国文化の影響を強く受けた長崎において慶事の象徴としてしばしばおめでたい席に登場する。その一つがこの桃カステラだ。桃を尊ぶ中国文化、ヨーロッパ伝来のカステラ、異文化を混ぜ合わせたこのお菓子、実に長崎らしい。ふんだんに砂糖を使用した桃の細工も、かつて大量の砂糖を輸入し、日本でもっとも砂糖に近かった唯一の海外貿易港であった昔を偲ばせる。
実は、俺、桃カステラは苦手だった。幼い頃に食べた桃カステラはそんなに美味い物ではなかった。
緑色の葉や茶色の茎までついた凝った造形、うっすらとピンクに染まった美しく艶々の桃。幼い目には夢のようなお菓子に見えた、しかし、食べてみると桃カステラは砂糖で作られた桃の部分が異常に甘く、そしてカステラ部分はボソボソとしていて、とてもじゃないが完食できるシロモノではなかった。
「お祝いの品だから、観賞用だから、美味しいモンじゃないんだ。」
夢が壊れた瞬間だった。
「食べなきゃ良かった。」
と、思った。
そんな苦い記憶(甘いお菓子なのに)を思い出しつつ、今日買ったばかりの桃カステラを一口。
「ンッ!?」
美味いッ!
砂糖で出来た桃は相変わらず、すごく甘いが口に含むとトロリと溶けてカステラに絡む。カステラの部分も記憶とは違ってふっくらしっとり。
俺が昔喰った桃カステラ一体何だったのだろう、たまたまハズレを引いたのか?
それとも、あれから長崎の菓子匠達は切磋琢磨して、桃カステラを慶事のお飾りから真に美味いと思える正しいお菓子に成長させる事に成功したのであろうか!?
とにかく、ペロリ完食。美味しかった!
ちなみに、五月五日は鯉を象った鯉菓子が登場する。これがまた俺の幼い頃の記憶に因れば、一口食べただけで虫歯になりそうなほどに甘く、とてもじゃないが・・・。

今年も長崎ランタン祭りの季節がやってきました。昨年は申年だったので斉天大聖様がオブジェの主役でしたが、今年は酉年。メイン会場には暁を告げる巨大な鶏が出現。
オブジェの下の方には5羽の雛鳥とそれを見守る雌鶏が。

今日は連休の初日。県外ナンバーの車を町中で多く見かけました。メイン会場の湊公園も沢山の人で賑わっていました。

ところで、これは、普段は何をしているか分からないおじさんたちが将棋を指すという独特の雰囲気を醸しだし、観光客はおろか一般のジゲモン(地元民)も近寄りがたい湊公園の画像。でもランタン祭りの今日ばかりは一般向けに大公開なのです。

例年通りランタンで飾られた中華街。やはり、ランタンは中華街がよく似合う。
【参考リンク】
■ゲーム貴族「長崎ランタンフェスティバル」・・・・・「ゲーム貴族」内の長崎ランタンフェスティバルの記事。昨年の長崎ランタン祭りの様子など。
■2005長崎ランタンフェスティバル・・・・・長崎ランタンフェスティバルの公式サイト。イベントスケジュールや会場へのアクセス、ランタンの解説などが公開されています。

さーて、今日は荒川区のスター北島康介選手の実家の肉屋で名物のメンチカツを買うために西日暮里駅にきてみたよ。駅構内では、さっそく北島選手の金メダルをたたえるポスターが!!

商店街に金メダルをたたえる旗がひらめく。

ポスターもいたるところに貼られているのである。

徒歩6、7分。北島商店に到着であるが、予想どうり多くの人手。

水曜と土曜限定のメンチカツは、一日4000個売れるとか。狂っているぜ。

店の右側へ向けて列ができているな。嫌な予感だーぜー!

ズギャ!何これ。路地にすんげぇ人並んでるじゃないの。聞いたところ2時間待ちだとか。
無理無理。別に今日メンチカツ食わなくてもいいや。今日は撤退!!
【参考リンク】
・ヤフー電話帳の北島商店情報
・マピオンの地図
・北島精肉店は北島選手の実家ではありません
長崎バイオパークへ行ってきた。

コレはミーアキャット。はじめは姿を見せなかったが、お得意の背伸びポーズで、ちょこちょこ姿を現してこちらの様子を窺っていた。このポーズがとてもキュート。
たまりません。

まあ、リスザル!私初めて。
おいで、ほら、怖くない、怖くない。
こわ、うっ、ほらね、怖くない。ね?
怯えてただけなんだよね。ユパ樣、この子私にくださいな!

この、つぶらな瞳を見よ!超カワイイのよ、リスザルって。
いろんな動物と戯れることの出来る長崎バイオパークは素晴らしかった!
せっかくなので、凄く気に入ったカピバラくんにちなんだビスケットをお土産に購入。

ビスケットを食べながら、カピバラくんと過ごしたあの、池の畔の木陰を思い出したりした。
秋になったら、またカピバラくんやリスザルに会いに行こう、そうしよう。
先日民事再生法の適用を申請したばかりの、長崎バイオパークへ行ってきた。
ゴマフアザラシを見た後、しばらくするとフラミンゴの池が見えてきた。ここでもフラミンゴに間近で餌をあげることができる。が、フラミンゴは、近くで見ると結構怖い。

フラミンゴに囲まれる子ども達。
フラミンゴの池を過ぎると、ちょっとした広場に出る。ここには牧場のように柵で囲われた芝生のコーナーがあり、そこにはシバヤギがいた。
子ヤギが近づいてきて目の前で草を食べ始めたのでなでなでしてやった!
カワイイ!!

ヤギはカワイイなあ!と思っていると、すぐ隣のテントでゴツンッゴツンッと突然何かがぶつかる音がした。見ると、ヤギがいきなり「めえええええ!」と声をあげて、わりと本気で喧嘩を始めていた。ちょっとビビッた。これだからバイオパークは油断できない。
更に進むとまたもや大きな池があり、そこには「草原の支配者」と呼ばれる巨大な齧歯類カピバラがいた!

とてもおとなしいカピバラ。目の前をゆうゆうとお散歩したり池で水浴びしたり。なでなでしたら気持ちよさそうに目を細める。なんか、すごく良い感じの生き物だ!!

木陰でカピバラと一休み。水面を眺めながら、カピバラにちょっとした悩みなんかも聞いて貰ったりしたのであった!
【参考リンク】
■カピバラページ
先日民事再生法の適用を申請したばかりの、長崎バイオパークへ行ってきた。
コレはクロキツネザル。

餌をあげると、ひょいひょいと飛び乗ってきた!彼らの餌を取ろうとする手は意外に柔らかかった。なんか、感動。

ゴマフアザラシが、池の中を泳いでいた。もう、手が届く距離!
タマちゃんより近くで見れる。このバイオパークには二匹のゴマフアザラシが居て、名前は?マコちゃんとルーちゃん、母娘だそうな。お婿さん募集中ですって!

バイオパークはこんな感じで動物が居る近くに手洗い場がある。動物に触れたり餌をあげた後は必ず手を洗おう!
【ムービー】
バイオパークのゴマフアザラシの母娘。

(real形式、1MBくらい。Real Playerのダウンロードはこちらから。)
・biopark_spottedseal.rm ストリーミングはこちら。
先日民事再生法の適用を申請したばかりの、長崎バイオパークへ行ってきた。
長崎バイオパークは小動物と触れ合うことが出来る小型のサファリパークのようなテーマパーク。
動物達を至近距離で観察できたり、実際に触ったり、直にエサを手渡しであげることが出来たりする。また、小さくて愛嬌のある可愛らしい動物も多く、動物好きにはたまらない施設なのだ!

公園入口にコンゴウインコがお出迎え。青空に映える鮮やかな羽色!気分は熱帯!!
長崎バイオパーク経営破綻のニュースを聞きつけて焦ったのか、はたまた連休のせいか、来園者は多く、駐車場は満車に近い意外な賑わいを見せていた。
動物達を至近距離で観察できるだけでなく、幾つかの動物達には手渡しでエサをあげることが出来る。エサは動物達の住み処の近くにご覧のようなガチャガチャが置いてあり、1カプセル/100円で購入できる。

動物達の居住エリア近くに来ると、上のような看板に動物の簡単な説明が記されてある。
入場口からすぐのところにツルやカモ、白鳥などの水鳥たちの池があり、その先にクモザルたちの池がある。池の真ん中にはロープがかけられた小屋が建ててあり、そこにクモザル達がいる。
「クモザル」それは英語で言えば「すぱいだーまんきー」、まさにクモ!彼らは尻尾や手足を巧みにつかってロープや組み上げられた木をひょいひょいと渡って来園者の投げたエサを拾うのだ。

小屋の中から顔を出してこちらを睨むクモザル様。
クモザル達の池から階段を登ると、途中にラマ発見。このラマはとても大人しく、子どもたちに囲まれて、なでられたり、エサを貰ったりしていた。長崎バイオパークには30頭ものラマが飼育されており、その飼育数は日本一だとのこと。
とても優しい、吸い込まれそうなその瞳、眼差し。ああ、癒される!

と、油断して、頭をナデナデしていると、突然オレのカメラバッグを口に入れ、モグモグやり始めた。
この、人間には伺い知れぬ、カワイイばかりではない動物達の予測できない行動によるハプニングこそ、動物達との触れ合いをコンセプトにする長崎バイオパークの真骨頂!
人類は自分の意のままにならぬ、自分以外の生物が存在することについて、このバイオパークで学ばねばならぬ!!
ラマが居た階段を登りきると、「熱帯館」というドームが見えてくる。ドームの中は熱帯の植物が植えられており、熱帯の鳥や蝶等が放たれている。

ドームに入ってふと右上を見ると、インドオオコウモリが普通にぶら下がっていた。しかも、そのコウモリの尻にはどういうわけか蝶がとまっていたのであった。見回してみると、木々の間に派手な赤色の鳥や、やたらくちばしが大きな鳥とかが居るのが見えた。
さらに進むとアルマジロがいた。しかし、暑さのせいか、或いはただ単に眠かったのか、はたまたサボタージュか、地面に掘った穴にごろりと寝ころび、まぶしいのか眼を隠してお昼寝の最中であった。

あられもない姿でお休み中のムツオビアルマジロのお二人。仲は良いようだ。
【ムービー】

長崎バイオパークの魅力は至近距離で動物を鑑賞できたり、エサをあげられたり、触れ合ったり出来るところ。というわけで、せっかくなのでラマのエサやりムービーをアップしてみる。(real形式、1MBくらい。Real Playerのダウンロードはこちらから。)
・biopark_llama.rm ストリーミングはこちら。
軍艦島という俗称で知られる端島は、昭和49年の炭坑閉山より無人になった。その後最近まで三菱鉱業〜三菱マテリアルが所有、管理していたが高島町に無償譲渡された。
一応、端島は立ち入り禁止になっている。
「軍艦島」関係のサイトには上陸して撮影した画像を掲載しているところも少なくないが、そういうサイトには「現在、端島は上陸禁止になっています。渡航方法についてはお答えできません」とかいったテキストが免罪符のように掲げてある。が、現在も何も、三菱が管理していたころは三菱の所有だったので、昔から関係者以外立ち入り禁止だったのではないか?
まあ、とにかく船で周囲を回るだけなら別に問題はない。船で周囲を巡ってみると、長崎からは拝めない端島の西側を見ることが出来る。

島の西側は居住区で、9階建てのアパートなどのコンクリート建築がぎっしりと建ち並ぶ。狭い土地を利用するために大正時代から既に鉄筋コンクリートのアパートが建設されていた。左上の小さな三角屋根の建物は「端島神社」。
閉山後、無人になった島の建物は、誰も住まず、メンテナンスをする人もいないし、その必要もなかったので30年間風雨にさらされて荒れ放題。廃虚マニア恰好のターゲットだ。
現在、この「軍艦島」を保存しようという動きがある。観光資源として活かそうと考える人たちや、元端島の住人で崩れ行く故郷を守りたいという人たち、産業遺跡として研究の対象になると考える学者らがその中心。それぞれ究極の思惑は違うかもしれないが、とりあえず「保存」という方向は同じ。その実現ためには多くの人たちに端島のことを理解してもらわなくてはならない。
「軍艦のような島影」、「巨大な廃虚」というのは確かに分かりやすくて人々の関心を引く。また端島を含めた長崎県周辺の海底炭田が日本の近代産業や戦後の復興と高度成長を支えたとか、エネルギー革命の影響で閉山したという歴史は修学旅行の教材にも良いかもしれない。
端島は巨大な廃虚であるということよりもむしろ、廃墟になる前の端島での生活の様々な特異性や、炭坑開発の始まりから閉山によって無人の廃虚になってしまうまでの八十数年間の歴史とその背景こそが重用だとは思うが、とりあえず「軍艦」のような姿には子供たちも関心を持つだろう。
そう言えば、つい最近(2001年に)閉山した池島では炭坑を修学旅行生に見学させたりしているという。坑道を百メートル以上も地下に潜るというツアーは圧倒的な迫力で、教師にも生徒にもかなり好評だったようだ。

端島は石炭採掘の為に開発された島。だから、竪坑があった便利の良い東側、長崎側に炭坑の施設が集中している。逆に、西側の厳しい外海の波風に晒される方に住居が建設された。
コンクリートで固められた岸壁、立ち並ぶコンクリートのアパート、削られてむき出しの山肌。木々が生えるすき間もない。「緑なき島」という端島を舞台にした映画があったが、「緑なき島」という表現もそんなに大袈裟でもない。緑を欲した島民達はアパートの屋上に土を盛り、草花や幾つかの農作物、茄子、キュウリ、芋、稲(もち米!)等を植えた。特に、稲は収穫され、端島神社へ奉納されたという。

島は長年風雨に晒され波浪に洗われて、崩壊寸前!岸壁が崩落しているところもある。もっとも完全にほったらかしにしているわけでもないが、危険な場所は少なくない。
が、太公望達はそんなことは気にしない。全国の廃虚マニア垂涎の「軍艦島」に余裕で上陸、そして廃虚には目もくれずに魚を追ってただ釣り糸を垂れる。
確かに上陸は禁止されているが、釣り人達が平気で釣りをしていたことからも分かるように、上陸が全く不可能というわけじゃあない。「ドウシテモ上陸シタイヨウ」というヤンチャな廃虚マニアの方はあきらめずに「軍艦島」、「廃虚」系のサイトにメールで質問してみるとか、地方BBSや廃虚マニアの集まりそうなところで尋ねてみると意外に答えが見つかるかもしれないな。
まあ、観光資源として開発されるのならそのうち整備されて上陸できるようになるかもね。
【ムービー】

せっかくなので、端島を船から眺めた動画。(real形式、それぞれ1MBくらい。Real Playerのダウンロードはこちらから。)
・hasima_mov01.rm ストリーミングはこちら。
・hasima_mov02.rm ストリーミングはこちら。
・オマケ、端島をパノラマで撮影してみた。hasima_la.zip(800kbくらい)
【参考リンク】
■インターネット博物館「石炭・金・地熱」 石炭コーナーに日本の石炭産業の事が分かりやすく解説してある。
■浮浪雲 NPOである「軍艦島を世界遺産にする会」の活動を支えるdoutoku氏のサイト。
■SAIGA yuji,雑賀雄二 「軍艦島」と「天主堂」ばっかり撮ってる人。「軍艦島 棄てられた島の風景—雑賀雄二写真集」と「天主堂—光の建築」など。
■インダストリア 管理者はもと端島住人。「軍艦島グラフィティ—おもいでのさんぽみち」の著者。これがとても切ない絵本なんだよ。上記の写真集よりこっちをお薦めしたいくらいだ。いつまでも軍艦だ、廃墟だと騒ぐのも大人げない。端島の本当の姿は廃虚の向こうにこそある。
■軍艦島 ある島のお話〜長崎県の端島を知っていますか?〜 「軍艦島」についての書籍は幾つか出ているがいちいち読むのが面倒臭い。「軍艦島」について調べたかったらとりあえずココを見ると良い。参考資料なども多く紹介してある。
■端島(軍艦島) 端島の黒歴史。炭坑にはつきものの強制連行、強制労働について。
■軍艦島2002春。2ちゃんねら〜がついに「軍艦島」上陸。だいたい「軍艦島」をテーマにしたサイトは似たようなものが多い。いかに廃墟をカッコヨク見せるかと考えた結果かどうか知らないが、黒っぽいバックに同じような廃虚の写真がただベタベタ貼り付けてあって、すぐに飽きてしまう。しかし、ココはちょっと違う。画像は大きく見やすく、それぞれにコメント付き。コメントの「〜ですよ?」が気に障るが、汲み取り式のトイレなど意外なところに眼をつけており、他と違った切り口で「軍艦島」を見ているのが面白い。他の「軍艦島」系のサイトでは「軍艦島」のアパートの室内写真は沢山あるが、その間取りに言及しているところがココの他にいったい幾つあるだろうか?と、いうか「軍艦島」の画像にコメントや解説がついているところは少ない。たまにコメントがついてるかと思うと、廃墟を語るのにありがちなポエムだったりしてな。
このサイト、レポートが途中で止まっているのが非常に残念。探索の続きを見たかった!
ところで、端島への上陸は禁止されているが、船で周囲を見て回ることは簡単にできる。
■やまさき海運 「軍艦島クルーズ」という遊覧船があるようだ。
■美津丸 「軍艦島周遊」の予約受付があるようだ。
そういえば「軍艦島」をモチーフとしたと思われるエロゲー(18禁)もある。
■百鬼 〜淫黙された廃墟〜
あ、あと現在、端島は上陸禁止になっています。渡航方法についてはお答えできませんので質問しないでね。(お約束)

長崎県野母崎半島の沖に浮かぶ端島。長崎港から南西18.5km、長崎県西彼杵郡高島町に属する周囲およそ1200m、160m*480mの小さな島。
その島影が、大正時代にワシントン条約のために標的艦として処分された戦艦「土佐」に似ていたため「軍艦島」と呼ばれるようになり、この俗称で有名。(この戦艦「土佐」も長崎にはかかわりが深い。三菱造船所で建造されたし、なかにし礼が書いた長崎の伝説の芸者愛八さんと伝説の長崎学者古賀十二郎先生が主役の小説「長崎ぶらぶら節」にも関連するエピソードがある。)
写真は野母崎の浜辺から端島を撮影したもの。丁度夕方で逆光だったために、確かに軍艦のように見える。

端島を眺めながら野母崎半島の先端に車を走らせていると、野母崎町の物産センターの様なところ出くわした。野母崎町のホームページには現在何のアナウンスもされていないようだが、「軍艦島資料館」なるものがあり、端島の写真や歴史史料が展示したあった。

「軍艦島資料館」の近くに野母崎海の健康村という施設がある。この施設内に「陽の岬温泉」という温泉があり、ここでは温泉に浸かりながら「軍艦島」を眺めることが出来る。「オーシャンビュー」で「軍艦島ビュー」なのだ!
また、野母崎獲れたての海の幸も堪能できる。

夫婦岩から端島をのぞむ。離れて見るとますます「軍艦」に見える。実際、米軍の潜水艦が端島を軍艦と勘違いして、この島に魚雷を発射したという逸話もあるそうだ。(ただし、その時桟橋に積み出し船がついていたそうなので、その船が狙われただけなのかもしれない。)
長崎周辺の島々には古くから多くの炭坑が存在していた。
端島はそういった石炭の島の一つだった。
伝えるところによれば、宝永7年(1710)、肥前国松島において、漁師五平太なる人物が、焚き火をしようとしたところ、燃える石を発見したという。これが長崎の石炭発見伝説。(伝説の舞台は香焼だったり高島だったり、また、五平太も役人だったりと異説が幾つかあるようだ。)
そして、高島辺りで採れた石炭が四国辺りの製塩用の燃料として採掘販売されはじめたという。
高島をはじめとする長崎周辺の島々はかつて佐賀藩鍋島氏が治めており、幕末から明治にかけて、葉隠武士とはイメージを異にする開明的な鍋島の殿様やその親戚の深掘の領主らが高島や端島など、この辺りの島々の炭坑を本格的に開発しはじめた。
燃料としても原料としても近代工業において最も重要な資源の一つ、それが石炭!
が、端島の炭坑経営は他の島のようになかなかうまくは行かなかったらしい。グラバー邸や大浦天主堂などの建設を請け負った天草の小山秀が、その技術を駆使して端島に堤防を築き埋め立てをして経営に挑戦するが事故で失敗、大損害を被った。
その後端島は明治23年に三菱の手に渡り、大規模な護岸埋め立て工事がなされ、経営も軌道に乗り、島民の増加に応えて大正5年に狭い土地を有効利用するため、日本初の高層鉄筋コンクリートアパートが建設された。島を取り囲む堤防、そびえる鉄筋コンクリートのアパート。その角張った島影から端島はついに「軍艦島」と呼ばれるようになった。
高島や端島で採掘された石炭は欧米東洋航路の蒸気船の燃料、国内製鉄業のコークスの原料等に使用され、同じ九州の筑豊としのぎを削り途中戦争をはさみながらも重要な資源であり続け、成長を続けた。戦後の高度成長期、端島は最盛期を迎え、1960年代に人口は5000人を超えた。
周囲わずか1200mの島で5000人超!人口密度は当時世界一であったという。
長崎とは限られた便数の船で行き来するしかなく、天候によっては島に閉じこめられる。食料や水、生活物資の供給もままならず不便も多かったようだが、住居費、電気代などの料金はタダ同然。学校は勿論、映画館やパチンコ屋などの遊戯施設もあり。そして、この狭い土地に住む人々は、ほとんどが炭鉱関係者。住民同士は非常に仲が良く、意外にもとても住みやすい島であったらしい。
端島の産する石炭は非常に良質であったそうだが、時は流れて燃料は石炭から石油へ移行して、石炭の需要自体が減少、また、露天掘りでガンガン採れる豪州産等の安い海外炭に価格面でかなわなくなったために端島の炭坑は1974年閉山。石炭を掘るためだけに開発された島である端島の閉山により、働く場所を失った島民達は、涙をのんで住み慣れた島を離れていったという。
閉山から30年、すっかり忘れられていた端島だが、数年前から様々なメディアで廃虚、産業廃棄物、棄てられた島等とネガティブな言葉で飾られてその名を知られるようになった。
今では廃虚マニアで「軍艦島」を知らない人はいないだろう。
長崎ではこれを新たな観光資源として開発中。
「おれたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきん懺悔室」で、神様をやっていたブッチー武者氏のお店が歌舞伎町にあるよ。
ちなみに、昔は、北区赤羽にあったそうだ。

高田馬場駅の早稲田口改札を出て東に徒歩7、8分。ボコスカウォーズの作者としておなじみのラショウさんのお店『ITA really Choco really(イタれりーチョコれりー)』に行ってみた。前回の店は、寿命3ヶ月だったが、そのすぐ近くに再生したそうです。

ここは、ラショウさん自ら淹れてくれるコーヒーや特製マズジュー(それぞれ500円)などを注文しながら、イタチョコゲームが楽しめる一風変わった店だ。入り口前には、お店の看板猫のイラストあり。

もちろんイタチョコグッズ類も購入可能。数日前のライブで商品が出払ってしまったそうで、この日は数は少なかったが、Tシャツ、バッジなどがあったぞ。

以前にイタチョコショップのあった場所は、ラーメン屋になっていた・・・
ちなみにラショウさんのソフトハウス盛衰記『巨人のイタチョコの星のシステム』が復刊ドットコムで、復刊交渉予定となりましたが、まだ票が足りないようで、 交渉が開始されていません。皆で投票して、順位をあげませんか?
さて、鬼太郎茶屋の飲食コーナーで、なにか食べてみるとするか。

『一反もめんの刺身こんにゃく(350円)』
鳥取県大山山麓の有機刺身こんにゃくの食感を楽しみながら、鬼太郎ビールをかたむけるのが、鬼太郎通というものだ。

『目玉おやじの栗ぜんざい(500円)』
北海道産最高級有機大豆を使用したこのぜんざい。目玉餅が潰れているのが残念ではあるが、このような甘味は、ここでしか食せないので、よしとしよう。

物販コーナーの籠の中には、目玉のおやじの飴が大量に入っているぞ。
なんか、凄い光景だ。

「鬼太郎茶屋」では、鬼太郎ビールを飲むことが出来るぞ。これは、境港の地ビール 夢みなとビールなのだ。
この、ネコ娘や子泣きじじいが配されたイラストのほうは、ソフトでクセが無いケルシュといわれるビール。

こちらは、アルコール度数が低めで炭酸ガスも少ないアルトといわれるビール。
有明海は諌早湾の干潟を堤防で閉じて干拓地を造成しようというのが、諌早湾干拓事業。有明海の環境へ深刻な影響があると言われ、水門を開けて調査すべし、いや開ける必要はないという二つの意見の対立で最近新聞を賑わした。また、水門を閉鎖するときの、シャッターが次々と落ちていく「ギロチン」とよばれた映像はショッキングだった。せっかく諌早まで来たのならば、話題の水門と潮受け堤防を見ておかねばならない。
干拓の里を出て北へ、広大な干拓地と調整池に沿って207号線を潮受け堤防と水門目指して走る。207号線から干拓地に敷設された農道に入る。ゴールデンウィークのせいか、干拓地には人影がまったくなく対向車に遭遇することもなかった。

水門を真近に見ようと思っていたのに残念ながら立ち入り禁止。諌早湾を横切る全長約7km、高さ7mにも及ぶこの堤防、いつかはその上を歩いてみたいもんだ。

仕方がないので、潮受け堤防から少し離れた干拓地から水門を眺めた。
平野部の少ない長崎県にとって、干拓地は貴重な穀倉地帯。俺も小学生のころは、諌早平野と言えば稲作と社会の時間に教わった。
潮位差が大きい干潟が広がり、雨が多い諌早湾沿岸地域は、大雨や台風、満潮などが重なるとすぐに水浸しになっていたという。
水門を閉め切り、堤防の内側(調整池)の水位を外の海より1m低くすることで干拓地の排水を促す。また、高さ7mの潮受け堤防は高潮などからも干拓地を守る。
さらに、湾を閉め切った調整池は淡水化するので、これを農業用水として使うことが出来る。
農林水産省のHPの「諌早湾干拓事業について」というコンテンツに詳しくその意義が記されている。この事業は農地造成、用水確保、洪水対策という、まさに一石三鳥の巨大プロジェクトだったのだ!

かつての海岸線であった旧干拓地の堤防から広大な干拓地を眺める。向こうに見えるのが潮受け堤防と水門、調整池。当初はこの広大な干拓地を農地として利用しようということでこの事業が始まったそうな。が、減反政策などで、既に全国的に農地は余っている状態。長崎県にはこの干拓農地の8倍もの面積の使用されていない休遊農地があるという。防災についても、堤防と水門で諫早湾を閉め切るなんて大仰なことをせずに、ただ単に既存堤防をかさ上げし、排水路と貯水池を整備して強力な排水ポンプを設置するのではいけないのかとの疑問がある。
また、潮受け堤防と水門の閉鎖による海流の変化などが、有明海の生態環境に深刻なダメージを与えているのではないかと、貝やノリといった重要な水産物の漁獲量との因果関係が取り沙汰されている。
干潟から湾入り口まで多様な環境を有するので、有明海は様々な生物が生きていくことが出来る懐深い豊かな海で、かつては「宝の海」であったそうな。ところが、有明海の水揚げは激減。もちろん諌早の干拓による環境の変化だけが原因ではないだろうが。
しかし、干拓事業反対派がいくら騒いでも、事業中止はかなり難しかろうなあ。干拓に関わる企業から自民党長崎県連に7億円くらいの献金が流れてたり、農水省からそれらの企業に沢山の人が天下ってるいるそうだし、干拓事業に従事している諌早市民も黙ってはいまい。中には、当時干拓による防災は人命に関わる問題だと突きつけられて、断腸の思いで諌早湾での漁業権を放棄した人なんかも居るという、今更元には戻れないだろう。堤防の防災効果も疑問視されてるけど、防災効果が全く無いわけではないし。長崎県と諌早市、地元自治体の多くが完成を望んでるんだったら、工事中止はないよな。
この諌早湾干拓事業の総事業費、なんと2,490億円ですって!干拓事業関係者にとっては、海苔や貝の水揚げ量に関係なく、有明海はまさに宝の海なんだね!
【参考リンク】
■諌早湾関連情報 (農林水産省)
■いさはやひがたネット (諌早干潟緊急救済本部)
■よみがえれ!有明海 (「よみがえれ!有明海訴訟」を支援する長崎の会)
■諌早湾干拓事業公式資料ぺージ
【地方紙の記事】
◇長崎新聞 「諌早湾」
◇熊本日日新聞 「再生へ有明海」
◇西日本新聞 「有明海ノリ不作」

鬼太郎グッズを買いたい人は、ここの物販コーナーは、種類も豊富だし必見。
たとえば、この「ふりかけばばあ」。ナイスネーミングだね。これ考えた奴は、いいセンスしている。

ごまキムチ味のふりかけをパラリと撒く砂かけばばあ。かっこよすぎ。惚れた。

諌早ゆうゆうランド干拓の里にムツゴロウの形をした奇怪な建物発見。これは「諫早市の母なる川として親しまれている本明川の上流から下流、そして有明海に至るまでに生息する生物を展示」しているという「むつごろう水族館」であった!
せっかくなので入場してみた。
吹き抜けの円筒形の館内を螺旋状に通路が設けられ、その壁面に水槽が設置してある。入り口辺りは水源近くの魚、螺旋の通路を下るごとに水槽内は下流の魚へと変わっていく。
下段の画像はダライアス2でもおなじみのシオマネキ。巨大な爪を上下させて求愛行動をする姿が手招きしてるようなのでシオマネキ。爪は左右どちらが大きくなるかは決まってないんだってさ知らなかったよ!三重県以南、沖縄までの内湾、河口付近、干潟に生息するそうだけど、諌早湾に限らず、河川や干潟の護岸工事によって住み処を奪われ全国的にその數が激減中!
「ところで俺のハサミを見てくれ、こいつをどう思う?」
「すごく・・・大きいです・・・。」

この生きものは、ワラスボ。紫色のぬらぬらとしたウロコの無い内蔵や血管が見えそうな体表、退化した目、鋭い歯がズラリと並んだ大きな口。ドラゴンバスターのケイブシャークのような頭部を持つ。日本では有明海にのみ生息。干潟の1mほどの巣穴に潜み潮が満ちてくると巣穴から出てきて、小魚、貝、海老、手当たり次第に凄まじい顎で食いまくる。でも、食べると美味しいんだってさ。
長さ1mくらいの鉤付きの竿を泥の中に突っ込んでこのワラスボを引っ掛けて捕らえる「スボカキ」という漁法が有明海の夏の風物詩だそうな。

上段はトビハゼ。体長10cmくらい。胸びれを器用に使って泥の上を動き回る姿が可愛らしい。
下段は噂のムツゴロウ。その昔、景行天皇熊襲征伐の九州遠征のおり、この魚の雌雄が同じ巣穴にてにて仲睦まじく暮らす様をご覧になり「むつまじきかな」と漏らしたことが訛って「ムツゴロウ」となったなどというやんごとなき由来がムツゴロウの甘露煮の土産物に書いてあった。また脂っこい、しつこいと言う意味の「むつこい」、ハゼ類を意味する「ごろ」と言う言葉が合わさって「ムツゴロウ」だとか。
体長20cmくらい、泥だらけで分からないが、体と背びれには鮮やかな青い斑点がある。繁殖期にはオスが作った巣穴にメスが入っていって産卵すると言うから「むつまじきかな」というのもまあ、当たっているか。泥の中からちょこんと出した顔と目が良い。ムツゴロウとい名前と相まってとてもユーモラス。

せっかくなので干拓の里から帰る途中、有明海名物のアゲマキを購入。大きさ7〜8cmくらいの二枚貝アゲマキは身も大きく、バター焼きやお吸い物に入れて食すると美味い。
と、いうわけで、帰宅後さっそくみそ汁に入れて頂戴した。そういえば川崎に暮らしていたときはアゲマキを食べることはなかった。それで「これぞ九州の味か」などと感慨にふけっていると、有明海の多くの地域で近年アゲマキが劇的に採れなくなってきていること、現在流通しているアゲマキの多くが(諌早や佐賀のスーパーの店頭に並んでいるものさえ)韓国などの外国産であることを知り激萎え。

2004年4月17日、全日本プロレスの「チャンピオン・カーニバル2004~PLEASURE 6」を観戦するため、ディファ有明を訪れた。注目すべきマッチは、Aブロック公式戦30分勝負、嵐VSジャマールだ。

楳図かずお先生の名作『14歳』の中には、「殺人プロレス」の試合中、美少年嵐選手がゾンビ草野選手の「男」を奪うシーンがある。それだけに、嵐選手がジャマール選手の「男」を奪うという展開もありうると予想していたが、結局インサートは行われることなく試合終了。11分13秒、腕固めで嵐選手が勝利した。美しい肉体に光る汗。嵐選手の美少年っぷりに妖しさが加わり、観客席には生唾を飲み込む音がこだました。
これからも、嵐選手から目が離せない!

長崎県は有明海に面した諌早に、干潟を干拓して出来た広大な干拓地がある。その「干拓の歴史生活文化を伝承し保持していく学習風土を継承するために設置」されたという、諌早ゆうゆうランド干拓の里に行ってきた。
看板キャラは、もちろん有明海名物ムツゴロウ!(動物王国のヒトじゃないよ)

この諌早ゆうゆうランドには干拓資料館があり、干潟、干拓とともに暮らしてきた人々が使っていた、この地域独特の民具等が展示されている。コレは「四つ手網」。海岸に櫓を組み、潮が満ちてきたら滑車で網を上下させ魚や海老を捕らえる。

上段は釣りキチ三平でもテーマに取り上げられたムツ掛け漁の様子を再現したもの。ボタンを押すとこの人形、動きます。「ムツ掛け」は干潟に生息する奇妙な魚「ムツゴロウ」を竿のしなりを巧みに利用し、重りのついた掛け針で引っ掛けて捕獲する独特の漁法。「ムツ掛け」の漁師は干潟の泥に沈まないようにご覧のようなガタスキーと呼ばれる板に乗って干潟を移動して漁をしたそうな。
下段は干潟で作業をするときに使用した履物「足駄」タテヨコ30cmの広くて歯の無い下駄。広い面で体重を分散するので、干潟の泥に沈みにくい。

上段は日本で最も早い時期に稲作用に導入された幅3.5m長さ6mの大型コンバイン。この干拓地でも、研修や試験などで活躍したそうな。下段は資料館に設置してあった諌早湾防災干拓事業の模型。いろんなボタンがあってモニターと連動して音声ガイドが流れ、諌早湾の干拓について詳しく説明してくれる。
【参考リンク】
■「釣りキチ三平」の作者、矢口高雄氏のホームページ。「有明海のムツゴロウ」は講談社コミックス版で23〜25巻あたり。
■「ムツ掛け漁」の動画。華麗な竿さばきに注目!→http://material.miyazaki-c.ed.jp/cec/suisangyou_nagasaki/gyogyou/gyohou_2/p1gsc6.mpg

茶屋の屋根には、巨大な鬼太郎の下駄が!!

墓場には、鬼太郎、ぬらりひょん、座敷童子、ぬりかべが!!

ねずみ男のヒゲを持ち去ったのは誰だーー!?

昨年6月にオープンしたプラダ南青山店。この菱形フレームで構成される全面ガラス張りの建物を設計したのはスイスのジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンだという。

外からは中が丸見え。こんなビル漫画でしか見たことないな。どうやら、夜のほうがもっと綺麗に見えるらしい。
この建物、夏はビニールハウス状態になって、冷房代がかさむんだろうなと、貧乏くさいことを考えつつ、この場を後にしたのだった。

南青山の「岡本太郎記念館」に行ってみた。

館内の撮影は、自由。

太郎先生の蝋人形がお出迎え。

先生の仕事場も見学することができる。

一青 窈(ひとと よう)が、第54回NHK紅白歌合戦に着用して出場した衣装が展示されていた。これは、岡本太郎の「明日の神話」をプリントしたもの。

記念館の裏側には、岡本太郎が作成した門を見ることが出来る。
長崎の島原半島と言えば「島原の乱」、それと高校サッカーで有名な「国見高校」、平成2年に噴火して大災害をおこした「雲仙普賢岳」などがあるので、それなりに全国にその名は知られているかもしれない。その島原半島、橘湾に面した所に小浜という小さな温泉街がある。長崎市内から車で一時間チョット。日帰りで行ける温泉だ。
で、「久しぶりに小浜の温泉に浸かってくるか!」ってことで小浜へ行ってきた。
蛍茶屋の方へ路面電車を脇に見ながら走り、日見トンネルを抜ける。山の斜面に切り開かれた、曲がりくねった道を上り下りしながら車を走らせて長崎市を脱出。ジャガイモが植えられた段々畑に挟まれた道を走っていると眼下に海が広がる。

千々石の展望台だ。ちょっと空気が霞んでいたのが残念だったがなかなかの見晴らしの良さ。流石は「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれるだけのことはある。
ココにはジャガイモをまるまる揚げて割りばしに刺した「じゃがちゃん」という名物がある。

外側は揚げたてサクサク、中はほくほくのジャガイモ。美味い。せっかくなので海をバックに「じゃがちゃん」を食って記念撮影。
千々石の海岸に沿って島原半島を南下すると湯煙立ち上る温泉街が見えてきた!
温泉宿が道沿いに立ち並ぶ。宿の煙突だけではなく、溝からも湯気が出ている。ウン、温泉だ!

小浜は古くは「肥前風土記」において既に、「高来の峰の西南より、温泉の湧出するのが見ゆ」との記述があるという。
全国の温泉の中でも、その温度はトップクラス。二十を越える源泉から100度のお湯が一日一万五千トンも湧きだしているとのこと。
今回入ったのは、海上露天風呂「茜の湯」。

橘湾に沿う海岸に突き出すように作られた小さな露天風呂。潮の香り、波の音、目の前に広がる海、そして温泉!なんと贅沢な!!
この茜の湯、入浴料は大人300円、小学生以下200円。営業時間は平日7:00〜10:00/13:00〜20:00、土日祝7:00〜12:00/13:00〜21:00。ア、しまった、夕方まで待って、夕日が沈むのを眺めながら浸かるってのも良かったかもしれん。って言うか、「茜の湯」の「茜」って夕焼けのことじゃねえか?今気がついたよ!
今度はそうしよう。
【参考リンク】
小浜温泉観光協会

一度は、登ってみたかった大阪城天守閣。ちなみに入閣料金は、大人600円。

エレベーターを使わず、階段で、8階の展望フロアに到着。そして、金のしゃちほこを激写。

天守閣内部では、豪華な兜をかぶっての写真撮影も出来るぞ。(有料)

一度生で見たかった「太陽の塔」。
大阪モノレールを「万博記念公園駅」で降り、太陽の塔が屹立する自然文化園の入り口まで来てみてびっくり。中に入るのに、250円もとるのかよ。中に入んないとご覧のようなベストショットが撮れない仕組みなんだよ。ここまで来て入らない馬鹿は居ないので、250円払いましたよ。
それにしてもデカイ。身長70m。コンバトラーVよりデカイのかよ!

お腹の部分にある顔、これは「現在の太陽」というそうです。

そしてこちらは、「未来の太陽」。口に咥えているのは、避雷針だそうです。

裏には、「過去の太陽」。実物を見るまでは、この黒い太陽は、ただ色が塗られているだけかと思ったが、実際には鼻の部分が盛り上がっていて、立体的なのだった。

鹿との交通事故は年々増加し、毎年100頭以上のシカが死傷しているそうなので、注意しなければいけないぞ。あと、犬や猫と違って、鹿なんかに衝突すると車のほうも大破するそうだ。
ちなみに財団法人奈良の鹿愛護会では、Cautionステッカーが売ってるぞ。

奈良公園には、約1200頭もの鹿が生息しているそうで、とても人になれているのだ。

癒し系の天然記念物。鹿はイイ!

餌を貰おうと近づいて来た鹿は、人に何度もおじぎをするのには驚いた。
【参考リンク】
■奈良公園の鹿さんと遊ぶ

先日予告したとおり、神戸のチャーリーズに行ってみた。
三ノ宮駅を北へ徒歩五分。北野坂と山手幹線が交差するところのビル2階。すぐに店を発見できた。

ルパン三世オリジナルシンガーの表記が目を引く。おっと、月曜は定休日なので、注意だぜ。

赤いシャツに黄色いネクタイをビシッと決めたコーセー氏。本日はブルースハープとのDUOである。スタンドバイミーなど、数曲ブルースロックの演奏が続き、お目当ての「ルパン三世その2」が始まる。生で、この曲を聴けるとは、やはり、いいものだな。
ちなみにチャーリーズは、そこいらのラーメン屋も顔負けのラーメンとチャーハンもおすすめなので、お腹を空かして行ってみてくれ。
【参考リンク】
■チャーリー・コーセーインタビュー

お好み焼き「舞」で腹ごしらえをした後は、花のみちを通って、宝塚大劇場までの道のりを歩く。途中には、「ベルサイユの薔薇」のアンドレとオスカルの銅像がお出迎え。

宝塚大劇場は、小劇場宝塚バウホールを併設しており、ごらんのようにかなりの敷地面積をほこる。内部には、郵便局、みやげ物店、飲食店、イベントホールなどもあり、わたしの想像していたものをはるかに上回る豪華施設だ。
なお、ありがたいことに劇場内での飲食は自由。菓子や飲料なども定価で販売しており、どこぞの映画館などとは違い、缶ジュース1本で200円などと暴利を貪るようなことはない。

今回の星組公演は、宝塚グランドロマン「1914/愛」とラテンファンタジー「タカラヅカ絢爛」のニ本立て!湖月わたると壇れいのトップコンビのまさに豪華絢爛な舞台が展開される。
なお、今年は宝塚歌劇90周年とのことで、今後様々なイベントが企画される予定だ。

宝塚大劇場は、客席数2,527席を誇り、どの席からもステージが見やすいよう配慮したちどり配列の2層構造を誇る。
基本的には、劇場内の撮影は禁止であるが、休憩時間に舞台を撮影することはOK。

公演終了。
皆口々に、「めっちゃ綺麗やった」、「わたると壇のチュ―が良かったぁ」などと感想を述べ合う。なお、客の9割は女性であるが、男性諸君も百聞は一見にしかず、この素晴らしい舞台を是非一度観劇してみてほしい。
買い物をしようとウチの前の坂を下っていると、撮影機材を持った一団が坂を占拠していた。構わず坂を下ろうとすると、撮影隊のスタッフが「すみません、ご迷惑をおかけします」と言う。そのまま坂を下り、その一団を抜けると、坂の下には近所のオバチャンが居て撮影隊を見上げて俺に話しかけた。
「あら、見なったね?菅野ちゃんよ。解夏(げげ)の撮影ばしよっとよ。」
「ナニ?菅野?!」驚いてオレは坂の上を見上げた。沢山のスタッフが坂の途中で待機する中、水色の服を着た女性が坂を駆け降りてくる姿がチラリと見えた。
「あれがもしかして、慶応遊撃隊の蘭未ちゃん?」
慌てて撮影隊が居る坂とは別の坂を通って自宅へ戻り、カメラを片手に現場へ!しかし、撮影は終了、撤収してるトコでした...。

月曜九時、フジテレビ4月からの新番組、「愛し君へ」は、さだまさし原作の長崎を舞台にした小説「解夏(げげ)」をドラマ化したもの。オレが遭遇したのは、まさにその、「愛し君へ」の撮影現場だったのだ。小説「解夏(げげ)」は既に映画化されており、涙なくしては見れないと大評判、特に長崎では。
映画では石田ゆり子、大沢たかおというキャスティングであったが、この月9のドラマでは菅野美穂、藤木直人というキャスティングで設定も微妙に変えて、ヒロイン側からの視点を中心に描くという。
そんなわけで、このドラマのためにフジテレビは長崎ロケをやってるという。今日はウチの近くだけではなく、夜は眼鏡橋がある中島川でも撮影があった。

川沿いと橋の上に大勢のエキストラを配し、石橋の上にカメラを設置しての撮影。どうやら夏の灯籠流しのシーンらしい。夏のシーンなのでエキストラの方々は半そで。三月とはいえ寒そうだった。
橋の上ではエキストラに対して「花火のシーンですから、皆さん見上げて下さい!」などとメガホンで指示が飛んでいた。

中島川でも「いざ、菅野さんを撮らん!」と意気込むも、沢山のスタッフに阻まれ、おまけに「撮影はしないで下さい!カメラ没収しますよ!」などとわりと本気で叱責され、断念したのでありました。
まあ、とにかく4月からのこのドラマには期待しよう!
【参考リンク】
「愛し君へ」プレ・サイト(フジテレビのプレ・オフィシャルサイト、予告編などが見られる)
朝日生命保険相互会社 菅野美穂の窓(菅野美穂出演のポスター・CMが見られる)
九州北部の弥生時代の遺跡からは、日本史の教科書にも載っている甕棺墓が出土することが多い。
吉野ヶ里遺跡からは、なんと2500基(!)を越える甕棺墓が出土しており、それだけでもただならぬ遺跡であると感じさせる。
そしてその出土した甕棺の埋葬された場所、形、埋葬遺体の様子、副葬品などから当時の様子が伺い知ることが出来るという。

この画像は吉野ヶ里から出土した”首無し人骨”とその復元モデル。
この人骨は頭蓋骨と第一、第二頚椎が無い状態で出土、右鎖骨と右橈骨(手首の上あたり)には鋭利な刃物のようなもので切りつけられたような傷があったという。
右鎖骨は上から切りつけられたような形、右橈骨は前面から切りつけられたような形であるという。戦いでこれらの傷を負った人物が、その死後頭部を持ち去られたと考えられているそうな。
他にも腹部に10本ほどの矢を打ち込まれた遺体も出土しているとのこと。
これらの遺体、戦いの犠牲者であるばかりではなく、何らかの祭祀的な匂いも無くはない。
また遺骨が既に溶けてしまっているような甕棺でも内部に折れた剣の先や石鏃が見つかっていて、これらの武器の犠牲者と見られている。そして、この被葬者の命を奪った武器の生産地が特定できれば、吉野ヶ里と戦っていたクニも特定できる可能性があるとのこと。
北部九州から出土する遺骨にはこのような傷を負った遺体がしばしば見つかり、また、畿内地方の遺跡からは銅鐸が多く出土するのに対して、北部九州の弥生時代の遺跡では副葬品に祭祀用と思われる銅剣、銅矛が出土するという。これは北部九州で戦乱の時代が長く続いていた証拠であるそうな。

甕棺墓が出土したときの様子を復元したもの。地面を掘り瓶に遺体を入れ、瓶で蓋をして二つを合わせるように粘土などで接合部分を固めて土を被せたらしい。
この吉野ヶ里丘陵地帯にはこんな感じで甕棺が沢山埋まっており、地元では畑を造るのに地面を耕していると甕棺にぶち当たったり、踏み抜いたりすることしばしば。あまりに沢山出土するので、甕棺の破片を砂利の代わりに敷いて農道にしたりするほど。しかもその砂利の中には希に被葬者の骨と思しき白いものも混じっていたという。とにかく昔からボロボロ出てきていたそうな。
そんなわけで、ここが弥生時代の遺跡であることは、考古学者や一部の考古学ファンの間では1989年のセンセーショナルな新聞発表以前にすでにある程度は知られていたらしい。
しかし、実はこの吉野ヶ里の辺り、新聞で全国一般にその名が知られたときは既に工業団地造成の計画が進んでいて、遺跡の破壊は決定済み、明日にもブルドーザーが入ろうかというような状態だったらしい。

公園の資料館に展示してあった甕棺。形や大きさも様々。小さいものは子供用?
製作された時期によって様式も異なり、被葬者の年齢等に応じて大型、中型、小型とサイズにもバリエーションがあったようだ。
また、内部が硫化水銀で赤く染められたもの、奄美諸島以南でしかとれない貝を使った腕輪、ガラス製の管玉、銅剣を伴って埋葬された甕棺も出土しており、これらは当時の技術、文化風俗、他地域との交流、などを考える手がかりになるという。

北内郭より更に北にあるのが「墳丘墓」。吉野ヶ里丘陵で最も高いところに位置し、この、こんもりとした丘は地元では昔から「城」と呼ばれ、戦国時代には山城が築かれていたと言い伝えられていた場所だという。「もしかしたら弥生時代の円墳かもしれない」と思って掘ってみると甕棺が14基出土。
画像の祭壇のような建物の向こうに見えるのが「墳丘墓」で、南北約40m、東西約27m、高さ約4.5mであったと推定され、発見された14基の甕棺の中から美しい青色のガラス製管玉、珍しい形の把頭飾り付き有柄細形銅剣などが出てきて、おおいに当時の新聞などを賑わせた。
人工の塚に特別な副葬品。明らかに他と区別されているこれらの被葬者は、王あるいはそれに類するリーダー的な役割の人々ではなかったかと言われている。
またこの14基の甕棺はその形式からせいぜい100年の間に埋められたと見ることが出来るし、全てが成人用の棺であることから、世を継いだ王やリーダーの墓標というよりは、短い期間の戦で命を落とした者を祭ったりとか、あるいは何かの祭祀で犠牲となった者たちではないかという見方もあるそうな。
環壕の外から橋を渡りこの墳丘墓に到る道の跡や、祭祀に使われたと思われる大量の土器も発見されている。環壕の外につながる参道は外部からの参拝者の存在匂わせ、この墳丘墓がある一定の地域社会共通の祭礼の場であったのではないかと思われるとのこと。
吉野ヶ里遺跡には数々の重要なの遺物があるんだけれども、見た目で一番分かりやすいのが北内郭の一帯。北内郭は吉野ヶ里丘陵一帯をぐるりと囲む環壕の中、更に二重の左右対称のアルファベットのAのような形をした環壕で囲われた場所で、内部に4棟の物見櫓、12.5m四方の「主祭殿」と名付けられた大型重層建築物等を備える。
「主祭殿」は当時、吉野ヶ里とその周辺のムラの政治、宗教の中心であったと考えられているとのこと。

画像は北内郭の入り口からその「主祭殿」をのぞんだもの。この北内郭の二重の環壕は土塁と柵を備え、入り口は鍵状に折れ曲がっていて外部から直進して入れないように防衛上の工夫がなされていた。

復元された北内郭の物見櫓に登って北内郭の内側を撮影。北内郭には件の「主祭殿」の他に物見櫓、高床式建築物などがあったが、竪穴式住居は一棟しかなかった。南内郭と比べると生活の匂いが希薄で、その閉鎖的で厳重な警備と相まって祭礼や政治の為の空間と推測されているそうな。
北内郭には、人目に触れぬように厳重な警備の下で暮らす付近一帯から畏れ敬われ、祭礼を司るシャーマンが居たのでは?高床式の建築物は、彼の住居であったり祭礼に使用する道具や贄の保管場所であったのでは?一棟しかない竪穴式住居は、彼の世話をする者たちが住んでいたのでは?南内郭に住む支配者層の者たちは最も大きな重層建築物(主祭殿)に集まって政について話し合ったり、シャーマンに占ってもらったりしたのでは?などという事があったのではないか?なんてことを想像させる。

当時の吉野ヶ里の人々にとって重要な空間の一つであったと思われているこの「主祭殿」、12.5m四方の正方形で直径およそ40〜50cmの柱16本で支えられたと推測される。そして、この建物は北内郭の更に北、身分の高い者たちを埋葬したと考えられている墳丘墓と、吉野ヶ里遺跡南部に存在する祭壇と思しき跡がある遺構を結ぶ線に軸を揃え、さらにこの北内郭の中軸線が夏至の日の出と冬至の日の入りに方向を合わせているそうで、祭祀的性格をますます匂わせる。
しかし「どうして二階建てで復元されてるの?そんなもん建てられるような技術とか発想があったの?誰か見てきたんか?」って思ってたら、別の遺跡から梯子を備えた二階建ての建物が描かれた絵画土器の破片が出土しているそうなので、当時そういう建物が存在していたらしいし、まあ、大型重層建築物は吉野ヶ里ほどの規模のクニであれば、あってもおかしくないのかな。

吉野ヶ里遺跡の中、逆茂木を抜けてコースに沿って歩いていくと、城柵、物見櫓で囲まれたところが見えてくる。「南内郭」と呼ばれるところで、幾つかの竪穴式住居が復元されていて、その中に入って竪穴式住居を見物することができる。
竪穴式住居の床は地面から掘り込まれた長方形、二本の柱で屋根を支え、中央には炉があるというのが基本。屋内の壁際には一段高いところがあり、そこで住人は寝起きをしていたらしい。
柵や物見櫓などの厳重な警備の様子から、この「南内郭」辺りが吉野ヶ里の支配者層の居住区であったと考えられているとのこと。
また、九州で始めて銅鐸が出土したのもこの吉野ヶ里だそうだ。かつて九州では銅鐸の鋳型は発見されていたが、銅鐸自体は見つかってなかったので九州は銅鐸分布圏外と考えられていたけれども、この吉野ヶ里でも銅鐸が出土したので、九州でも銅鐸を用いた祭祀が行われていたと考えられるようになったそうな。ここ「南内郭」には銅鐸の複製品がぶら下げてあり、そいつを鳴らすことが出来る。想像していたよりも、「ウホッ、イイ音!」だった。

高床式倉庫。地面から離して高い位置に持ち上げることでネズミや湿気から中の貯蔵品を守るという、セキュリティと温度・湿度管理の機能を備えた当時のハイテク倉庫!
弥生時代前半は地面に穴を掘って米などを貯蔵する形態が多かったが吉野ヶ里では弥生時代中期、後期に高床式倉庫がガンガン造られたらしい。「南内郭」の西側、吉野ヶ里を囲った外環壕の更に外に80棟(!)を越える高床式倉庫跡を確認、同時代に少なくとも20棟は建っていたと推測され、調査が進むうちに、その倉庫群も壕に囲まれて防御されていたことが明らかになったという。
吉野ヶ里周辺に発見された同時代の他の集落と比べて倉庫のサイズ、数ともに桁外れ。吉野ヶ里が巨大な集積地であったことを想像させる。
現在この倉庫群を復元中、2004年、今年の4月から「倉と市」として公開予定。

復元された高床式倉庫には梯子が掛けられており、一部その内部を見ることが出来る。ある倉庫の中には当時の武器が収められた様子が再現されていた。
吉野ヶ里からは実用、祭祀用様々な鉄器や青銅器が出土している。また鋳型や焼土塊などが出土した青銅器の鋳造を行っていたであろうと思われる工房の遺構も発見されている。またその周辺には朝鮮半島系の土器が出土しており、朝鮮半島系の人々が鋳造に何らかの形で関与していたことを示唆しているという。
また「南内郭」の北に「中のムラ」と呼ばれる場所がある。そこは祭祀や政治の儀式に使われるような道具を作る区域だったと考えられており、幾つかの竪穴式住居と養蚕、機織り機などの設備がある。
「三国志・魏書・東夷伝・倭人条(魏志倭人伝)」中には「倭人は桑を育て、蚕を飼って絹を作る」とか「倭錦を中国に持っていった」とかいう記述があったものの、それを裏付けるような弥生時代の遺物が発見されなかったので魏志の作者の勘違いではないかとさえ言われてきた。が、吉野ヶ里からいろんな織り方、色の絹が出土し、これによって弥生時代の絹織物の技術水準の高さが分かってきたとのこと。
あ、それとこの「中のムラ」に復元された竪穴式住居の幾つかは、内部に自動販売機と腰かけが据えられた休憩所になっているので、歩き疲れたらココで一服出来たりもする。
佐賀県に吉野ヶ里歴史公園という公園がある。ここは今から1700〜2300年ほど昔、弥生時代の遺構を多く残す遺跡。そしてこの吉野ヶ里歴史公園は「国家的な記念事業として、または我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図るため閣議の決定を経て設置する都市計画施設である公園または緑地」であるところの「ロ号国営公園」で、全国でも5番目、なかでも、「我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図る」ものとしては国営飛鳥歴史公園についで2番目に認められたという偉大さ!
この吉野ヶ里遺跡の特筆すべき点は一つの古代の集落が小さなムラから次第に規模が大きくなり、クニを作るまでに到る過程が、遺跡全体の遺構を通して面的に把握できるほどの規模であること。そして、その中に、遺跡をぐるりと囲い込む環壕、柵、甕棺、墳丘墓、高床式倉庫、物見櫓、弥生時代としては最大規模の建築物跡などが発見されているということ。
まさに、「三国志・魏書・東夷伝・倭人条(魏志倭人伝)」の邪馬台国についての記述「宮室、桜観、城柵、厳かに設け」を彷彿とさせる内容と国内最大級の規模の環濠集落遺跡として、今から15年ほど前、新聞で発表された当時、一大センセーションを巻き起こしたのであった!
「邪馬台国」について考えるのは非常に興味深い事ではあるけれど、素人が「邪馬台国」や「古代日本」について語るのは、「トンデモ」や「ナショナリズム」と紙一重。でもまあ、たまには古代のロマンに浸ってみるのも一興。と、いうワケで今回は吉野ヶ里遺跡についてご紹介!

入場口は二ヶ所、こちらはJR吉野ヶ里公園駅側からの入場口。広くてキレイなエントランス。広々とした駐車場も完備されている。流石は国営公園!

入場ゲートをくぐりしばらく歩くと鳥居のようなアーチが見えてくる。そしてその両わきに環壕と逆茂木・杭列がある。外敵の侵入を防ぐために設置され集落の外側に向けて傾いている。

平日は園内にある発掘現場を覗くことが出来る。露出した土にボコボコと空いた穴は迫力で「遺跡だ!」って感じ。この発掘現場には竪穴式住居跡、幼い子供を葬った甕棺墓、また時代が下がって室町時代の城跡等も発見されている。吉野ヶ里は古代から中世にかけて(奈良時代には役所がおかれるほどの)重要地点であったとのこと。

発掘現場に顔を出していた土器。他にもここでは環壕が発掘途中で、その断面を見ることができる。発掘が進めばその環濠は、深さ2.5メートルにも及ぶと推測されている。

発掘途中の環壕。断面の幾重にも重なる地層が幾世紀もの長い時間を感じさせる。
濠の中には大量の土器やカキなどの貝殻などが捨てられているものもあるという。海から離れたこの地でカキの殻などが捨てられているということは、有明海沿岸の集落との交易を示唆するものらしい。

外敵の侵入を監視する物見櫓。遺跡に残っているのはあくまでも建物が建っていた跡。実際にこの櫓がこの形でココに埋まっていたわけではない。だから、この形はあくまでも推測。ただし、こういった物見櫓と推測されている建物の跡は環壕のチョット他より突き出た部分で見つかっており、そういうところに建てられている建築物と言ったらやはり監視のための建物であろうし、それも他の遺跡の遺物なんかも研究して技術水準とかから、コレくらいの柱の間隔ならばコレくらいの規模というふうに推測しているわけで、まるっきり空想というわけでは無いとのこと。
ただ、まあ、それでも異論を唱える人がいないわけでもないそうだけれども。

こちら、「3Dシアター」では、レンジャー隊員の訓練の様子を立体映像で観ることができるぞ。
3D以外にも座席が振動するギミックがあり、発砲シーンやほふく前進するシーンで、ブルブルと震えるのだ。
なお、14分間の映像で語られる訓練は、まさに過酷そのもの。食料調達のシーンでは、ヘリコプターから投下された生きた鶏を調理しなければならないのだが、隊員の食事中にわざと教官が「敵襲!」の号令をかけ、食事をさせないようにするのだ。

こちらは、AH-1S 対戦車ヘリコプターのフライトシミュレーターだ。
2分間という短い時間ではあるが、実際の操縦席から撮影した映像にあわせて動作するシミュレータは、臨場感抜群!

最後に土産物店で自衛隊広報センターだけでしか売ってないという、手焼きの瓦せんべいを買ってみた。
この土産物店は、ほかにも、Tシャツ、帽子やストラップなど自衛隊グッズがいろいろあります。
さぁ、皆さんも、「自衛隊広報センター」に是非一度行ってみてください。日曜でも意外と空いていますし、全て無料で楽しめますので、おすすめですぞ。

一階には、コブラの愛称を持つAH-1S 対戦車ヘリコプター、そして、国産ハイテク装備を誇る90式戦車の実機が展示されている。よく考えたら、この施設、すげぇ金かかってるよなぁ。

90式戦車は、自衛隊にしか需要が無いためコストが高く、一両7億4千万円超とのこと。
ちなみに、ここに展示されている車両は、試作品で細部が若干異なるそうだ。

自衛隊の各種装備も展示されており、体験コーナーでは、背のうや空挺傘を装着することができる。しかし、重量が15キロもあるので、ぎっくり腰には注意だぜ。

施設の外にも戦車、高射砲、装甲車、地雷敷設車などが展示されている。これらは、触れてもOKだぞ。

東京都練馬区にある陸上自衛隊広報センターに行ってみた。

施設内には、ご覧のような「モーニング娘。」のポスターがいくつも貼ってある。
なんだか、自衛隊って楽しそうだな。おいらも入ってみたくなってきたぞ。一生懸命って、いい感じだな。GO! GO! PEACEだよ!

即応予備自衛官募集のポスターにも美少女が!やっぱ自衛隊ってすごいや。おいらも今日から半長靴で行くよ!

五輪出場が決定した小西ゆかりさんも美人だ!こいつは驚いた!ピストル60連発だよ。

昨日2月26日、長崎市松ヶ枝岸壁にて豪華客船ダイヤモンドプリンセスの命名式が開催され、本日午前9時、ロサンゼルスへ向けて出航した。
2月26日の命名式には船主のP&Oプリンセスクルーズのピーター・ラトクリフ社長や三菱重工の佃和夫社長、また長崎の金子知事などが出席し祝辞を述べた。
そして本日2月27日、港には多くの長崎市民や関係者が詰めかけ、件の豪華客船の出航を見送った。

見送りに対して手を振るダイヤモンドプリンセスの乗組員達。この客船、乗組員だけでも1000人を越えるという。

全長二九〇メートル、幅三七・五メートル、水面からの高さは五四メートルという巨大な船体がゆっくりと回頭する様子は圧巻。その後船は港を後にした。
あの大きな船が港から居なくなってしまったので港の風景がチョット淋しくなる。しかし同型の二番船「サファイヤプリンセス」のP&Oプリンセスクルーズへの引き渡しを五月に予定している。もうすぐこの「サファイヤプリンセス」がドックから出てきてその姿を見せてくれるだろう。この「サファイヤプリンセス」は2002年10月に火災で炎上した旧「ダイヤモンドプリンセス」の船体を使っている。
そういえば、件の火災、当時は某国の工作だとか放火だとか刺激的な噂が流れたなどとウチのヒト達が言っていた(実際に本件とは別に放火事件が数件あったという)。結局はこの火災、作業ミスが原因とされ、その作業員に対して業務上失火罪で禁固一年六ヶ月の求刑が出ている。またこの出火について、予見可能であったにも関わらず、管理監督責任を果たさず、火災の発生を回避できなかったという疑いで他の技師や管理職のヒト達も書類送検されてるそうな。
【参考リンク】
長崎新聞の「豪華客船修復」に関連記事。

三菱重工業株式会社長崎造船所が建造中であった総トン数11万6千トン、全長290メートル、1000を越える客室、流水プール、24時間営業のレストランやショーラウンジなどを配備した世界最大級の豪華客船「ダイヤモンドプリンセス」がついに完成し長崎港の松ヶ枝岸壁にその姿を現した。
「ダイヤモンドプリンセス」と言えば、2002年10月に火事で炎上するという事件で全国に知られてしまった船。今回完成したのはその火災にあった船ではなく、火災発生時に同型船として受注していた「サファイアプリンセス」を「ダイヤモンドプリンセス」として名前を変えて完成させたモノ。火災にあった旧「ダイヤモンドプリンセス」は火災の被害を修復した上で新たに「サファイアプリンセス」として作り直される。かなり厳しい納期みたいだけど、そういうことでどうにかお客さんとも話がついたそうな。
そんなわけで、色々あったけどようやく出来上がった新「ダイヤモンドプリンセス」を港の方まで行って見てきた。港には早くも沢山の長崎市民が見物に訪れていた。

タグボートで押される「ダイヤモンドプリンセス」。建造されていた三菱重工業長崎造船所本工場向島岸壁は松ヶ枝の岸壁の対岸にあたる。狭い港をタグボートに押されてゆっくりと接岸。

夜には美しくライトアップ。既に乗組員が乗船していた。港の周りでは外国人を多数目撃。
近くで見ると、この「ダイヤモンドプリンセス」、ホントに見上げるほどデカイ!
こんな豪華客船での旅なんてさぞかし金がかかることだろうなあ、と見上げながらため息。
ため息ついでに調べてみたら、既にこの「ダイヤモンドプリンセス」のツアーが組まれていた。例えばメキシカンリビエラクルーズ、アラスカクルーズなど。
あら、まあ、船旅の相場なんて知らないけどさ、そんなに絶望するほど高くはないなあ。
よし、では、いつかは豪華客船でリッチな旅を...。

見えないはずのモノが見えて、動かないはずのモノが動く。
手品、奇術、マジック、誰もがココロを奪われるその本物の技を見て参りました。
長崎は坂本町、「大学病院前」というの路面電車の停留所からチョット歩いたビルの二階に「マジックシアター」というマジックバーがあります。
マジックというモノを皆さん実際に生で見たこと、ありますか?
マッドマジック主宰の小川心平氏のお店「マジックシアター」では勿論ナマで、同じテーブルの目の前で様々なマジックを見ることができるのです。やはり同じテーブルで間近に見るマジックというのは、いくらでも仕込むことができ、いくらでも編集でき、一方的に映像を垂れ流しされるテレビなんかとはゼンゼン違います。基本的にマジシャンと客とのやりとりでマジックが進行していくのです。そうして文字通り、私たち客の目の前であんな事やこんな事が起きてしまうのです。ギンギンに目を光らせて、マジシャンの動きに釣られないようにいろんな所に目を配っていましたが、結局は「ええっ!」とか「あれ〜?」とかの感嘆符と疑問符のついた言葉を連発するより為すすべがありませんでした。
ところで、この小川心平氏は1989年世界マジック大会にてグランドチャンピオンを獲得なさったという本格派!これはホントに見応えアリ。
長崎に来たら夜は何をおいてもこの「マジックシアター」に行くべし!

海堡(かいほう)とは、海に作られた要塞のことで、東京湾には、第三海堡までが建設されたのだが、現在、第一海堡は、許可なく上陸することが出来ず、 第三海堡は、関東大震災により大部分が水没暗礁化し、海難事故が多発したため、2007年を目途に撤去作業が進行中である。
残りの第二海堡に関しては、釣りの名所として有名であり、一般人が船で渡ることが可能だ。
また、ここは、映画やテレビのロケ地としても度々使用されているようで、松田優作主演の「蘇る金狼」や「宇宙刑事ギャバン」では、「マクーの鬼首島総本部基地」としても使われたらしい。ちなみにギャバン役の大葉健二氏は、先日公開されたタランティーノ監督の「KILL BILL Vol.1」にて服部半蔵の弟子役で出演中なので、お見逃し無く。
さて、その第二海堡への行きかたであるが、京浜急行金沢八景駅よりシーサイドラインにて野島公園駅下車徒歩2分。橋を渡ったところの「村本海事」という事務所から出る船で、片道30分である。料金は、往復3700円。なお、海堡には、自動販売機など存在しないので、事前に飲食物の購入は必須である。もちろんトイレもない。
旧日本軍が作った歴史の遺物。興味があれば、人口の海の要塞へ行ってみるのもいいかもしれない。
【参考リンク】
「猿島」戦争中の要塞や砲台の跡が残る東京湾に浮かぶただ一つの自然の島

さて、また昨年末の話。
父親がグラバー園に行きたいというので、一緒に行ってきた。グラバー園とは海外交易が盛んだった昔、長崎に駐留した外国人達の邸宅なんかを保存した庭園。和洋折衷の独特の建築物と丘から見渡せる港の眺めがなかなか良い。グラバー園は近所だったので子供の頃からちょくちょく行っていたんだけども、中に入るのは久しぶりだ。
グラバー園は南山手という所にあり、その名の通り山手にあり丘の斜面を登ることになる。斜面を登っていくのが大変なので園内には動く歩道が設置してある。ところが最近はグラバー園の外に斜行エレベーターなどが出来ていて丘の上の方からも入場できるようになっていた。今回はその新しくできた丘の上の方の入場口から入場、長崎市の広報誌「広報ながさき」についていた「半額入園券」を使った。中にはいるとバンドが演奏をしていた、クリスマスが近かったのでクリスマスの曲を演奏していた。
園内を歩いていると、父親が「昔、この建物で勉強しよったっさ」と言った。建物は旧スチィル記念学校。中にはいると「そう、そう、こがんなっとった、ここが職員室やったなあ」と懐かしそうに言った。建物の中、幾つかの部屋には昔の長崎の町並みを写した古い写真が沢山展示してあった。見ると今では解体されてしまった数々の洋館等が写っていた。オレの記憶に残っているモノも幾つかあった。思えばオレの小さな頃には大浦辺りにはまだまだ沢山洋館が残っていて、普通に住人がそこで生活していた。そんなことを思い出し、そこに展示してあった写真を父親と「ああ、コレはあの辺にあった建物だ」などと昔語りしながら見てまわった。
今年閉鎖された北海道帯広のテーマパーク『グリュック王国』であるが、
去年訪問された方の解説が爆笑ものなので、ここでご紹介。
『究極のテーマパーク 帯広グリュック王国』
-駐車場にはたった5台の乗用車・・・
-チケット売り場には誰もいない・・・
-みやげ物売り場は、みんなディズニー・・・
・・・テーマパークの末期ってこういうものなのね。
【ここ数年で閉鎖したテーマパーク】
横浜ドリームランド
向ヶ丘遊園
ネオジオワールド
東京マリン
新宿ジョイポリス
横浜ジョイポリス
鎌倉シネマワールド
カナディアンワールド
苫小牧ファンタジードーム
テルメインターナショナル
アルファリゾートトマム
レオマワールド
シムランドQ
恵那峡ランド
オランダ村
富士ガリバー王国
行川アイランド
琵琶湖タワー
ワイルドブルーヨコハマ
石原プロワールド
ナムコ・ワンダーエッグ3
さやま遊園