長崎市最大のお祭り、「長崎くんち」の「小屋入り」、「打ち込み」があった。

「くんち」(あるいは少し上品に「おくんち」)とは10月7〜9日に実施される、長崎にある諏訪神社の神様に踊りや曳き物等を奉納するお祭り。
1820年頃に編纂された長崎名勝図絵に「切支丹宗徒は神道仏法に戻ったとは言っても、まだ、残党が潜伏していることを警戒し、奉行所は9月9日の重陽の日に諏訪社の祭りを初めて行わせた。」とあるそうで、つまり、キリシタンが多かった長崎の地に、幕府が諏訪神社で大きな祭りを実施することで禁教を徹底させようとした政策的な思惑があったりする、実に長崎らしい背景を持つお祭りなのだ。
「くんち」の出し物である奉納踊りは、町単位で7年毎に順番がまわってくる。その年に奉納踊りを担当する町を踊町(おどりちょう)という。6月1日は、その踊町が奉納踊りの練習を開始するため、「おくんち」関係者が、諏訪神社や八坂神社などでお祓いを受けて祭りの成功を祈願する「小屋入り」、そしてその後関係各所に挨拶回りでをする「打ち込み」が行われるのだ。

上段は東古川町の、下段は本古川町の商工会館前での打ち込みの様子。東古川町と本古川町は現在統合されて古川町となっているが「くんち」には旧町名で参加する。
古川町は古い歴史を持つ眼鏡橋がかかる、中島川沿いの町。なので、出し物はそれぞれ水にちなんだ「川船」と「御座船」。
他の地域のお祭りと住人の関係と同様に、長崎の人々も地元のお祭りである「くんち」が大好き。ある医者は太鼓山(コッコデショ)を担ぎたいばかりにその踊町である樺島町にマンションを購入して引っ越し、更に山の上にある職場の病院に通うとき、その医者は担ぎ手として充分な体力をつけるためにランニングシャツに短パン姿、リュックに重しを入れて背負い、連日上り下りするという自主トレを実行。しかし、それが、あまりにハードなトレーニングであったため「くんち」本番直前にヘルニアを患ってしまい大望果たせず欠場した、などという伝説が、まことしやかに語られるほどに「くんち」は愛されている。
俺もシャギリと呼ばれる「くんち」のテーマソングの笛と太鼓の音が聞こえてくると、何やらむずむずしてくるし、幼いころ、「くんち」に出演したいと強く憧れたもんだ。

神々に頭を垂れる聖性と、人々を熱狂に誘う魔性を合わせ持ってこそ正しい「祭」。
笛、鐘、太鼓を打ち鳴らし通りを歩く踊町の面々を見よ!
練習開始の挨拶回りと言えども、真剣そのものの表情。10月を待たずして「くんち」はもう既に始まっているのだ!
【ムービー】
とまあ、そんな「くんち」の本古川町の打ち込みの様子。デジカメのムービーモードで撮影したので30秒程度のあんまり動きのない映像なんだけど、せっかくなのでご覧あれ。

(real形式、それぞれ1MBくらい。Real Playerのダウンロードはこちらから。)
・本古川町の打ち込み。ストリーミングはこちら。
・シャギリ。ストリーミングはこちら。
【参考リンク】
長崎新聞の長崎くんちのページ。関連ニュースへのリンクあり。踊町になることは賞賛と同時に多大な人的、経済的負担を伴うことが伺える。また、「くんち」を長崎観光のネタにしようという行政の思惑も。
こんなニュースもあった。
長崎くんち(1)〜小屋入り・打ち込み〜
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