10月16〜17日に「長崎くんちモッテコ〜イ」が開催された。
長崎くんちは10月7〜9日に開催されると決まっており、それが平日に当たることも珍しくない。せっかくのお祭りも平日では観光資源として活かせない。ということでくんち終了後の土日に観光客向けに企画されたのが「長崎くんちモッテコ〜イ」。
「モッテコ〜イ」とは「持ってこい」のことで、くんちの奉納踊で出来が良かったときに見物人達が踊町に対して、もう一度見たいという意志を伝える「アンコール」のかけ声。くんち本番は終わったが、本番と同じ内容でもう一度くんちの奉納踊りをお見せしますよ、というつもりで「長崎くんちモッテコ〜イ」と名付けたのだろうか。
ところが、この「長崎くんちモッテコ〜イ」と言うイベントに、一部の長崎市民は眉をひそめる。くんちに参加する踊町の人々はくんち本番の三日間で全力を出しきってしまうのに、その一週間後にまた奉納踊を披露するのは体力的にも経済的にも無理、それも神前への奉納ならともかく、観光業の振興のため、一部の人間の利益のために演じることなど・・・といったところらしい。そもそもくんちの準備のため半年以上も前から連日練習を繰り返し、くんち本番の直前は庭見せ、人数揃い等の行事、そして本番の三日間はくんち漬けで仕事や勉強そっちのけなのだ。いくら長崎市民がくんち馬鹿で、冬にランタン祭り、春はハタ揚げ、帆船祭り、夏はぺーロン、精霊流しと年中イベントで遊んでばかりでも、これ以上お祭り気分を続けていては周囲も「たいがいぶりにしとかんねよ(いい加減にしろ!)」と言いたくもなるというものかもしれない。
そんなわけで、「長崎くんちモッテコ〜イ」には踊町のシンボルである傘鉾が一つも出てこないし、和、華、蘭を題材にしたそれぞれの山車、本古川町の「御座船」、大黒町の「唐人船」、出島町の「阿蘭陀船」は今年不参加とあって長崎らしさも薄れてしまい面白味激減。
しかし、長崎を離れている人、都合が悪くてくんちを見れなかった人にとっては有り難い。一つの踊町は7年に一度しか奉納踊りを演じない、今年を逃せば次に見れるのは7年後になってしまうから。もっとも、長崎最大の秋の大祭であるくんちの時期に長崎に居ないような不届き者に、もとよりくんちを見物するような資格はないのかも知れないが。
でも、まあ、せっかくなので「長崎くんちモッテコ〜イ」について、長崎を離れていてもココロはジゲモンのワタシとアナタのためにムービー付きでレポート。
「紺屋町の本踊」
かつて染物屋が軒を並べていたという紺屋町は本番同様の長唄「稔秋染輝六彩色(みのるあきそめてかがやくむつのいろどり)」を本踊りとして披露。
染物職人の男女に扮した衣装と白く長い布をさらす様がとても鮮やか。
くんちの奉納踊は舞台と違って四方から見られてしまうので、そのことを意識し、工夫した舞になっているという。
本踊りが終わってからアンコールのかけ声「ショモーヤレ」のかけ声がかかり、町の子供達も加わって「ぶらぶら節」が披露された。くんちというお祭りはお客様に見せるための芸能ではなく、地域社会の為の行事。だから町内の子供達、やっと立てるようになったような幼児も踊りに参加する。
「ぶらぶら節」は長崎でもっとも有名な民謡の一つで、長崎の花街で唄われた。花街で唄われただけあって生産的な詞が全く出てこないという気楽で実に素晴らしい唄。
「ぶらぶら節」には「紺屋町の橋の上で子供がハタ喧嘩~」という部分があり、この部分が特に素晴らしく見えた。紺屋町には芒原(すすきはら)橋という石造りアーチ橋がかつて架かっていたのだ。染物職人の町であった紺屋町の人々の、中島川と芒原(すすきはら)橋に対する思いを感じさせる踊りだった。
【ムービー】
「長崎くんちモッテコ〜イ」で披露された「稔秋染輝六彩色(みのるあきそめてかがやくむつのいろどり)」と「長崎ぶらぶら節」の動画。
・「紺屋町稔秋染輝六彩色〜長崎ぶらぶら節(平成16年長崎くんちモッテコーイ)」
minoruaki.wmv(wmv形式、約12.5MB)
「長崎ぶらぶら節」では、子供達が前で踊るときに丁度「紺屋町の橋の上で子供のハタ喧嘩〜」という歌詞の部分が流れる。
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