長崎くんち(3)〜庭見せ 紺屋町・東古川町・本古川町〜

「長崎くんち」の庭見せは、江戸時代の昔では踊町の家々が枝葉のない青竹を家の前に立て並べ家紋の幕を下げ、室内は家宝の書画什器等で飾り、くんち本番で使う衣装や傘鉾、曳き物、またお祝いで届いた贈り物などを展示し、家を表から裏まで開放して見物人に見せたという。家をすっかり開放して皆に見て貰うことで「ウチはキリシタンじゃないですよ」と示したのだという説もあるそうな。
現在は踊町の店先やホテルのロビー等が庭見せの会場になっている場合が多いようだ。
■紺屋町の庭見せ
紺屋町は眼鏡橋等の石橋群が架かる中島川沿いにあり、かつて染物屋が多く軒を並べていたためについた町名。今では想像しにくいが、私の父親は、子どもの頃確かに中島川で布をさらしていたのを見たことがあると言っていた。
紺屋町は現在は分割統合され町名も失われたがくんちでは昔の町割りで参加する。紺屋町に限らずくんちに参加する踊町の多くは旧町名で参加する。そのため現在では地図上に存在しない町名も少なくない。


紺屋町の傘鉾.jpg
紺屋町の傘鉾。中央に鳥兜と笙を載せ、両脇に真っ赤な紅葉。鮮やかな紅葉の左右のバランスが絶妙!くんちが開催される秋の風情を感じさせる。傘鉾の前、三宝に載せてあるのは栗、桃饅頭、ザクロ。三宝に栗、柿、ザクロなどの果物や桃饅頭を載せて傘鉾にお供えするのは昔からの庭見せのルールらしい。
紺屋町庭見せ
紺屋町がくんちで奉納するのは本踊りで、長唄「稔秋染輝六彩色(みのるあきそめてかがやくむつのいろどり)」。染め物職人の男女が染め物をさらしたり絞ったりする様を舞ってみせる紺屋町らしい演題。青と緑の衣装がとても鮮やか!
表には青竹に「花」と記した紙が下げられ、贈り物の数々が所狭しと並べられていた。「花」の裏にはご祝儀の送り主の名が記されている。
■東古川町の庭見せ
東古川町は「川船」という曳き物を奉納する。「川船」は川で漁をする船を再現した演し物で、船頭役の少年が船の上から魚の模型めがけて網を打つ「網打ち」のパフォーマンスや川船が激流に翻弄される様子を、激しく船を前後に曳いたり回したりして演じる。
そんな東古川町の傘鉾は川に因んで葦と黄色の花も鮮やかな河骨を左右に配し、中央に水棹、魚篭、キラキラと輝く硝子細工(!)の投網。だしの周りを飾る輪は護岸工事などに使われた蛇篭。また魚篭や蛇篭についてるカニがユーモラスで、これがこの傘鉾全体に、えもいわれぬ詩情を漂わせ、非常に趣深い作品に仕上げている。
東古川町の庭見せ
川船を曳く根曳き衆やお囃子の衣装。衣装に染め抜かれた奇妙な鳥のようなマークはこの東古川町のシンボルとも言える「かりがね」。
■本古川町の庭見せ
本古川町は東古川町のお隣。この町の演し物は「御座船(ござぶね)」。江戸時代の大名が参勤交代に使用した船を模しているという。戦前は「軍艦(海軍)」という時代に合わせた演し物を奉納していたという。
かつて諏訪神社の雅楽師達が住んでいたこの町は「お囃子の本古川町」として有名、和楽の伝統から生まれた格調あるしらべにのせて曳かれる「御座船」は他の曳き物とまた違った趣を見せる。
江戸時代の大名、殿様が乗り込んだ船、「御座船(ござぶね)」がテーマなので、船に乗るお囃子達は武者装束。絢爛豪華な衣装が眩しい!
本古川町の庭見せ
今回は特に囃子の奉納には力を入れているようで、太鼓や鉦などの楽器を船外に出して外でも演奏するという新しい試みが注目される。
アーケードに置かれた御座船を見物する人々。
本古川町の御座船
帆には日の丸、太さの違う二本の紺の線。のぼりや垂れはこの帆を反転させて紺地に白抜き、この対比が美しい。船尾の赤い吹き流しもポイント。曳き回しの時には風に流され美しくたなびく。ちなみに、この御座船のデザインをした人物は、出島町の阿蘭陀船も考案した人物で、黒い阿蘭陀船に対応させてこの御座船を白い檜づくりの船としてデザインしたのだという。

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