吉野ヶ里遺跡(1)

佐賀県に吉野ヶ里歴史公園という公園がある。ここは今から1700〜2300年ほど昔、弥生時代の遺構を多く残す遺跡。そしてこの吉野ヶ里歴史公園は「国家的な記念事業として、または我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図るため閣議の決定を経て設置する都市計画施設である公園または緑地」であるところの「ロ号国営公園」で、全国でも5番目、なかでも、「我が国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図る」ものとしては国営飛鳥歴史公園についで2番目に認められたという偉大さ!
この吉野ヶ里遺跡の特筆すべき点は一つの古代の集落が小さなムラから次第に規模が大きくなり、クニを作るまでに到る過程が、遺跡全体の遺構を通して面的に把握できるほどの規模であること。そして、その中に、遺跡をぐるりと囲い込む環壕、柵、甕棺、墳丘墓、高床式倉庫、物見櫓、弥生時代としては最大規模の建築物跡などが発見されているということ。
まさに、「三国志・魏書・東夷伝・倭人条(魏志倭人伝)」の邪馬台国についての記述「宮室、桜観、城柵、厳かに設け」を彷彿とさせる内容と国内最大級の規模の環濠集落遺跡として、今から15年ほど前、新聞で発表された当時、一大センセーションを巻き起こしたのであった!
「邪馬台国」について考えるのは非常に興味深い事ではあるけれど、素人が「邪馬台国」や「古代日本」について語るのは、「トンデモ」や「ナショナリズム」と紙一重。でもまあ、たまには古代のロマンに浸ってみるのも一興。と、いうワケで今回は吉野ヶ里遺跡についてご紹介!
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入場口は二ヶ所、こちらはJR吉野ヶ里公園駅側からの入場口。広くてキレイなエントランス。広々とした駐車場も完備されている。流石は国営公園!


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入場ゲートをくぐりしばらく歩くと鳥居のようなアーチが見えてくる。そしてその両わきに環壕と逆茂木・杭列がある。外敵の侵入を防ぐために設置され集落の外側に向けて傾いている。
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平日は園内にある発掘現場を覗くことが出来る。露出した土にボコボコと空いた穴は迫力で「遺跡だ!」って感じ。この発掘現場には竪穴式住居跡、幼い子供を葬った甕棺墓、また時代が下がって室町時代の城跡等も発見されている。吉野ヶ里は古代から中世にかけて(奈良時代には役所がおかれるほどの)重要地点であったとのこと。
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発掘現場に顔を出していた土器。他にもここでは環壕が発掘途中で、その断面を見ることができる。発掘が進めばその環濠は、深さ2.5メートルにも及ぶと推測されている。
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発掘途中の環壕。断面の幾重にも重なる地層が幾世紀もの長い時間を感じさせる。
濠の中には大量の土器やカキなどの貝殻などが捨てられているものもあるという。海から離れたこの地でカキの殻などが捨てられているということは、有明海沿岸の集落との交易を示唆するものらしい。
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外敵の侵入を監視する物見櫓。遺跡に残っているのはあくまでも建物が建っていた跡。実際にこの櫓がこの形でココに埋まっていたわけではない。だから、この形はあくまでも推測。ただし、こういった物見櫓と推測されている建物の跡は環壕のチョット他より突き出た部分で見つかっており、そういうところに建てられている建築物と言ったらやはり監視のための建物であろうし、それも他の遺跡の遺物なんかも研究して技術水準とかから、コレくらいの柱の間隔ならばコレくらいの規模というふうに推測しているわけで、まるっきり空想というわけでは無いとのこと。
ただ、まあ、それでも異論を唱える人がいないわけでもないそうだけれども。

コメント

  1. 悪想麺 より:

    いやぁ、なつかしいです。
    実は私、運転免許はこの近くで取ったので、吉野ケ里遺跡は路上試験のコースだったんですよ。

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