枇杷が好き。
勿論枝ぶりとか、花とか葉っぱが好きなのではなく、その果実が好き。
長崎の家の庭先に枇杷の木が植えてあるのをよく見かける。
びわ、枇杷。ウチの親父は「ひわ」と呼ぶ。
ああ、あの甘く果汁豊か、柔らかな産毛に包まれた麗しい琥珀の果実の季節がやって来た。
小学生の時分学校帰りに友人数名と、崖の上にある家の大きな枇杷の木から、その果実をしばしば失敬していた。
しかし、これは勇気を試される、ある種のイニシエーションを伴う行動だった。悪事の秘密を共有するという仲間入りの儀式であるばかりではない。
「枇杷の木から落ちたら死ぬ」という少年たちを震え上がらせる、恐怖の伝説があったのだ。
その果実を手にすることは、危険な崖を登り細くて折れやすい枇杷の枝を制覇する技術と体力、更には伝説が語るところの死の恐怖を乗り越える勇気と胆力、それらを合わせ持つ勇者でなければ成しえない事だったのだ!
そんな個人的思い出のある伝説の果実、枇杷の名産地が長崎の茂木である。
長崎市の中心部から離れ、山を越えて橘湾に面した茂木に行く。茂木はその昔、険しい山に囲まれた長崎において、島原、天草などに船が出る重要な玄関口の一つであった。
曲がりくねった山中の道路を抜けると目の前には真っ青な海、急峻な山の斜面は一面枇杷の畑という風景が広がる。枇杷の実は袋を被せられ、大切に育てられる。白い袋がまるで花を咲かせているよう。

そんな枇杷畑の間を縫うように車を走らせていると、ところどころに無人販売所があり、取れたての枇杷を一箱400円くらいで売っていた。「せっかくだから、枇杷を買って帰るか?」と思っていると、収穫したばかりの枇杷を箱詰めしているところに出くわした。選別したものの中で、無人販売所に置こうとしてたものをさっそく、その場で購入させてもらった。そして、せっかくだから記念撮影。
後ろではお仕事中。収穫した枇杷を計りにかけ、Mサイズ、Lサイズなどに分けて梱包していた。

江戸時代、天保から弘化の辺り、茂木の三浦シオ(ワシ)という女性が、唐通事(通訳をする役人)に奉公していたときに貰った枇杷の種を実家に持ち帰って自分の家の畑に植えた。これが茂木の枇杷第一号だという。(奉公先は長崎代官所だったとの説もある)。そしてその実を食べてみるとこれが、美味い。
実は大きく、果汁は豊か、そして甘い。
そのうち接ぎ木に成功して次第に増えてゆき、明治維新の頃には長崎に出荷して評判になり、明治39年に天皇へ献上。大正3年には東京で開催された平和博覧会に出品して入賞、この辺りからブランドが定着し始めたという。

行儀よく並んだ、「茂木びわ」の皆さん。ウチでは今年最初の枇杷なので、仏壇に6つあげて残りを戴いた。下段は皮をむいた枇杷。今まさに食わんとするところ。鮮やかな色と滴るほどの豊かな果汁がおわかりいただけるかな?
ああイカン、コレ書いてたらまた食べたくなってきた。
まいっちょ食うてから寝よ。
ハンケチに 雫をうけて 枇杷すする (高浜虚子)
【参考】
長崎文献社発行 「長崎町人誌-第四巻 さまざまのくらし編-」



コメント
うわ、一箱400円。
実にいいですねぇ。
びわは甘くてトロリとして上品で大好きです。