国宝の大浦天主堂をはじめとして、長崎にはカトリックの教会が沢山あります。
長崎が開かれた当時大村の殿様が、信仰心とか海外交易の利益とか領地の保全とかいろんな事情があって、長崎をイエズス会に寄進しちゃったりしたので長崎には沢山の大きな教会があったといいます。しかし、その後禁教が徹底されて、それらの教会はことごとく打ち倒されました。
そして、かわりに、長崎には沢山のお寺や神社ができました。キリシタンであることが許されなくなった街は、ある意味宗教的真空地帯、本邦の僧や神官達は、「今こそ正法を長崎の人々に伝えん!」と宗教的野心を持って長崎を訪れたかもしれません。
島原の乱で一揆勢、非戦闘員も含むおよそ3万7千人がほぼ皆殺し、島原半島南部と天草諸島から人間がいなくなってしまったのでは?とも思える江戸幕府のあまりにも苛烈なシャレにならない所業に、禁教令の後もキリシタンであり続けていた多くの長崎市民はさぞかし肝を冷やして震え上がったことでしょう。キリシタンだなんてことが奉行所とかに知れたら命が無い!長崎の秋のお祭り「おくんち」やお盆の墓参りや精霊船が派手になった一因に「私達は諏訪の神さまをこそ信仰してるんですよ」、「仏とご先祖を大事にお参り奉っているのですよ」という表明があり、長崎を支配した長崎奉行も禁教の徹底のために「おくんち」を推奨したといいます。
そんなわけで、長崎にはキリスト教の教会も多いですが、同時に神社仏閣も多いのです。
長崎の昔の地図を見てみると、出島を中心に市中を囲うようにぐるりとお寺や神社が建ち並んでいます。(地図の赤い印が神社仏閣の類で、今もそのほとんどが残っています)
これはまるで、長崎から奥へ、異国の神の侵入を決して許さないという結界のようであります!!
また、これらのお寺は平地より一段高い山の麓にびっしり建ち並んでいるので、長崎港に入った異人達はその船上から黒々と光るお寺の甍が長崎の街をぐるりと囲む威容を目の当たりにしたに違いありません。
長崎は海外に開かれた数少ない窓。多くの異国の人々は長崎を通してしか日本を知ることが出来ませんでした。長崎は異国の人々に対して日本をアピールできる場でもあったので、市中を囲う神社仏閣の威容は日本にとっては外国へのプレゼンの意味もあったかも。
さて、引き続き長崎さるく博のスタンプラリーに挑戦中なんですけど、今回はそんなお寺が建ち並ぶ寺町に限らず、駅の辺りからお寺巡り、諏訪神社~新大工辺りを攻めてみようってわけです!
今回のターゲットは「重文縁起よか界隈 ~寺町巡礼~」、「龍馬が見上げた長崎の空 ~風頭から亀山社中跡、そして寺町へ~」、「松森神社から諏訪神社へ ~緑に包まれた聖地・天満宮とお諏訪さん~」、「元祖長崎 ~桜馬場・夫婦川から新大工~」、「超VIP出島蘭館医「施福多」の奇跡 ~シーボルトへの道~」の五件!!
長崎駅のほど近く、福済寺の大きな観音像が見えるのにちょっとびっくりするかもしれません。福済寺は戦前は七堂伽藍を有し、国宝にも指定されていたほどの堂々たる唐寺であったそうですが、惜しくも原爆で燃えてしまいました。現在は長崎の港を見下ろすように観音様が佇む近代的なお寺になりました。お寺の裏にはちょっと独特の雰囲気の墓域があり唐寺の歴史を感じさせます。
唐寺と言えばこの聖福寺も独特の雰囲気があっていい感じ。山門をくぐって、韋駄天と布袋が祭られた天王殿を見上げると苔むした石段、そのむこうに蘇鉄と朱い大雄宝殿が。
さだまさし原作の「解夏」の舞台でもあり、ちょっと寄ってみたいところです。
歴史のあるお寺にはいろんな逸話や伝説が残っているものです。長崎の民話の中でも秀逸なのはこの光源寺に伝わる「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」でありましょう。光源寺HP内にこの「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」のお話が載ってるので是非ご一読あれ。
■光源寺のHP(http://www1.cncm.ne.jp/~k-naoya/index.html)
光源寺HP内「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」(http://www1.cncm.ne.jp/~k-naoya/page013.html)
毎年8月16日にこの幽霊の像が御開帳になります。以前この「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」の御開帳に行ったことがあるのでそのときの画像をせっかくなのでアップします。
暗闇の中に浮かび上がる「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」!!
お顔もスゲー迫力、ギザ恐ろしっスなあ!!
恐ろしげな幽霊の像と言うセンセーションが多くの人を惹きつけますが、この「飴屋の幽霊(飴買い幽霊、産女の幽霊)」のお話はとても哀しいお話であります。愛し合った恋人に会いたい一心で京から長崎への長旅、その末に知った恋人の裏切り。しかし、その恋人を恨むことなくわが子への愛のためだけに夜な夜な飴屋の戸を叩く。なんと心優しく哀しい女でありましょうか!!
お腹に子をやどしたまま亡くなった女性の怪、産女、その情念にまつわる怪談は全国に存在する(子育て幽霊)ようで、かの「ゲゲゲの鬼太郎(墓場の鬼太郎)」もそんな生まれでありました。
この光源寺に伝わる「飴屋の幽霊」の物語、様々な設定が実によくかみ合っております。像を作ったことになっている工人藤原何某は修行の為に京に行っていたというのも頷けます。やはり当時本物のアーティストになろうと思ったら、芸術の中心である京にて修行と言うのが自然でしょう。そしてこの工人の名を刻んだ作品が実際にお寺にある(画像上段)というリアリティ!京で修行していたときに恋に落ちたので、恋人は京の女。失意のうちに命を落とし、埋葬された彼女は京から来たので京の言葉で話し、三途の川の渡し銭として六文持っていたので、一日一文ずつ飴を買い、七日目は金がないという。死のキーワード六文銭と時間経過がリンクしています。
また、幽霊の謎が解決した後に恩返しとして幽霊が水源のありかを示すと言う後日談がまた素晴らしい。しかも、その幽霊が示した井戸も実在する(画像下段)という充実ぶり!!(もっとも、物語の舞台は麹屋町、きれいな水がたっぷりあってこその「麹屋の町」ですから、幽霊話より井戸のほうが古いと思われ、「幽霊が見つけた井戸」なんて言われるのをヨシとしない人もいるかもしれません)
あとは幽霊に飴を売ったという老舗の飴屋が残っていれば完璧なのですが・・・。
ところで、御開帳の後に幽霊を見せてもらった部屋を出ると米飴(画像中段)を貰えます。
幽霊が赤子のために買い求めた飴。
そして、この飴はお乳がよく出るようになると言います。
コメント
産女の幽霊怖すぎです・・・